その少年には名前がなかった。 少年の母は彼に名前を与えなかった。ただ「愛しい子」とだけ呼んだ。 愛しい愛しい私の子。愛しい愛しいあの人の子。 お前はいいわね、あの人の色を貰えて。 綺麗な綺麗な赤と緑。 きっといつかあの人が迎えに来てくれるから、その時に貴方の名前を貰いましょう? 私とあの人の愛し児。 愛しているわ、愛しい子。 結論として少年の母に「あの人」は迎えは来なかった。 彼女が死に、少年が村を去った後、「あの人」は果たして来たのだろうか。 鬼灯
「やい!鬼子!!お前なんて鬼の山に帰っちまえよ!」 「そうだ!そうだ!お前のせいでみんなが不幸になるんだ!」 「お前の母親もきっとお前のせいで死んだんだ!」 石を投げられ、罵声を浴びせられる。 そんなのはいい。だって慣れてる。 母さんが、母さんがいれば、俺はいくらだって耐えられたんだ。 石をよけて山に逃げ込む。追いかけられて、足元を石が掠る。 もっと、もっと、もっと、奥へ! 気が付くと来たことがないほど奥に入り込んでいた。 急いでいたせいで、今の位置が分からない。 どうしよう・・・! 人食い鬼の噂を思い出す。 少年が焦っていると何かが近づいてくるような音が聞こえた。 がさがさ。 がさがさがさ。 「・・・・・・!?」 がさっ 「おや?こんなところに人の子とは珍しい」 現れたのはとても美しい顔をした男だった。 亜麻色の髪、血のような赤い、赤い瞳。 そして二本の角をもったとても美しい鬼だった。 「お・・・に・・・?」 「しかもなかなか人にしては珍しい毛色をしている」 少年が恐怖でへたりこんだのも気にせずに、鬼は興味深そうに少年を見ていた。 鬼が一歩一歩近づいてくる。 あと少しで手が触れる・・・! 「おれ、を・・・たべる・・・のか?」 「そうかもしれませんね〜」 くすくすと鬼が嗤う。 死にたくない・・・! 少年の本能はとっさにそう思った。 しかしすぐにもう生きてる意味がないことを思い出す。 唯一であった母が死に、もはや俺にはだれもいない。 俺のせいで、俺のせいで母さんは。 俺がこんな風に生まれてきたから、俺が母さんに不幸を呼んだから、だから・・・。 こんな鬼はここで食われるべきなのかもしれない。 「・・・・・・いい、よ」 「はい?」 「いいよ、たべて」 鬼は俺が言ったことが理解できないようだった。たぶん自ら食べられようとしたのなんて俺が初めてだったのだろう。 「俺にはもう生きてる理由がないから、だから、俺を食べていいよ」 「生きてる意味がないとはどういうことですか?あなたは麓の村の子供でしょう?」 「ちがうよ。俺は村の子じゃない。俺が鬼なんかに生まれてきたから、俺のせいで母さんが死んじゃったから、だから・・・!」 いつのまにか涙が出ていた。 母さんが死んでからこんなに誰かと話をしたのは初めてだった。 「鬼・・・?可笑しなことをいう子ですねぇ。誰が鬼なんです」 鬼は少年の血が出ている額にそっとふれるとそう言った。 「俺が・・・。だってこんな髪!」 「あなたは人間ですよ。多少毛色は違いますが人間です」 手に付いた少年の血をちろりと舐めれば人の血の味。 「私の同族ではありません」 「そんな俺は・・・」 呆然としている少年の傷を手ぬぐいで押さえ、鬼は少年の事情を聞いた。 この髪の色のせいで苛められていたこと。 母は父が迎えに来るのを待っていたが来なかったこと。 母が病で死んでしまったこと。 身内がもう誰もいないこと。 全てを話し終えるころには少年も落ち着き、涙も乾いていた。 「なるほど。それではあなたは行くところがないんですね?」 「家はあるけど・・・」 「帰りたい場所ではないと」 それが悪いことのような気がして思わず少年はうつむく。 「だから、私に食べてもらおうと思ったというわけですね」 「・・・うん」 「生憎、私は人の肉はあまり好きではないんですよ」 食べるつもりはないと言われ、安堵しつつも少しがっかりしている自分は本当はずっと死にたかったのだと気付いた。 「だから、代わりに拾ってあげましょう」 「へ?」 予想外の言葉にはじける様に鬼を見上げる。 「生きる理由がないというならば、あなたが生きる理由を見つけるまで、私が生きる理由になってあげます」 「でも、俺は・・・」 「どうします?私と来ますか?」 差し出された手を振り払うべきだと思った。 鬼じゃなかったとしても、母さんに不幸を呼んだのは俺かもしれない。 俺なんかに優しくしてくれたこの人にこんなやつを背負わせちゃいけない。 それでも、差し出された手はあまりにも・・・。 「・・・・・・・・・」 黙って手を掴むと、鬼も優しく握り返した。 「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。私は翡翠と呼ばれています」 「ひすい?」 「はい。緑色の石です。あなたの瞳に少し似ているかもしれません。綺麗ですよ」 自分の目が綺麗と言われた様で思わず顔が赤くなる。 「あなたは名前がないのでしたね。とりあえず、私が付けてあげましょう」 気に入らなかったら変えてもいいですよ、と言われて首を横に振る。 少年は母にはいえなかったが、ずっと名前が欲しかった。 「そうですね・・・。朱い、まるで炎のような髪だ。焔はどうですか?」 ほむら、ほむら、まるで宝物のように繰りかえす。 それが自分の名前だと思うと、それだけで生きていける気がした。 胸が温かい。 繋いだ手をぎゅっと握ると少年と鬼はゆっくりと歩き出した。 そして少年は焔になった。 |