閉ざされた塔に声が響く




 数メートル先に日本がいた。アメリカが頭を撫でるとやわらかく微笑む。その姿がかつての自分達のようで、知らぬ間に唇を噛みしめた。日なたにいる彼らがちょうど日陰にいる自分からは酷く眩しい。
「中国さん!」
 日本の驚いたような声に遠くへやった意識を戻す。
「美国はほっといていいあるか」
 すねた様な自分の声に思わず眉をしかめる。日本が首をかしげた。幼い頃から変わらない彼の癖だ。
「アメリカ君ならもう帰りましたけど・・・。すいません、もしかして迎えに来てくださったんですか」
「別に。単なる散歩ある」
 此処へは会談のために来た。しかし予定の時間よりも早く着いてしまったため、こうして上司を置いてふらついていたのだ。天気もいいし散歩も悪くないと思ったが、あんな光景を見るのならば大人しく上司と待っていればよかった。
「そうですか、よろしければご一緒してもいいですか」
 日本がひかえめに微笑む。かつてはこの笑みを向けられるのは自分だけであった。もうそうではない。それでも日本の笑みは幼い頃と変わらなかった。どうしてそんなところだけ変わらないのだろう。自分たちを取り巻く環境も関係もすべて変わってしまったのに。
「美国に取り入って一体何を企んでいるアル」
 自分で言っておいて少し呆れた。そうしなければ生きれないようにしたのは自分達だろうに。
「企んでなんて・・・。私が望みはひどく当たり前のことですよ」
 いつもの無表情で日本が答える。しかしその中に少しだけ愉悦が混じっているのに気が付いた。
「当たり前・・・?」
「ええ、自分の国民が大事なのは当たり前のことでしょう?」
 朗らかに日本が微笑む。雲が日輪を遮り影ができた。
「私は私の国民のみなさんの誰にも傷ついてほしくないし、死んでほしくないんです。私はもう、彼らの血を見る気はない。だから代わりに血を流してくれるひとを求める。ほら、当たり前のことでしょう」
 彩度の低い視界の中、日本が笑う。否、本当にこれは日本だろうか。我の、我の弟は。
「お前には誇りは無いあるか」
「私のちっぽけな誇りなんて、どうでもいいんですよ。愛してるんです。私は私の国民を。だから彼らのためなら、さっきまで私を殺そうとしていた相手にも跪いてみせますよ。私のこの身ひとつで足りるなら、いくらでも捧げましょう。微笑んで、反吐がでそうな愛だろうと囁きます」
 出会った頃の弟は誇りに満ち溢れていた。戦争が、世界が、彼をこんなにも変えてしまった。世界が彼を見ることを許すべきではなかったのだ。今更遅い。それでも隠し守っていくべきだったのだ。中国の呆然とした表情に気づいたのか日本がにっこりと笑う。
「中国さん、私はね誰でもいいんですよ。守ってくれるなら、生かせてくれるなら。相手は誰でもいいんです。アメリカ君でもイギリスさんでもスイスさんでも。誰でも誰でもいいんです。もちろん中国さん、貴方でも」
 日本の細い指が中国の頬に伸びる。そっと触れられた温度は思ったよりも冷たかった。
「日本・・・?」
「兄さん、早く強くなってくださいね。あの人より強くなって私を攫って下さいな。そしたらまた二人でいましょう」
 雲が切れて光が差した。木漏れ日の中笑う日本はその狡猾さを微塵も感じさせず、何事もなかったかのように離れた。
「さて、もうそろそろ行きましょうか中国さん。上司の方をあんまり待たせるのもあれですから」
 そう言って家のほうへ歩き出した背中を見ながら、かつて彼につけられた傷を撫でる。傷痕はほとんど消えたがそのときの痛みと悲しみはまだ覚えていた。
 日本が何時までも立ち尽くしている中国を振り返る。もう一度だけ傷痕をそっと撫でると日本の元へ歩き出した。

 きっといつか我は彼を攫いに行くのだろう。


囚われたのは誰だったのか