ストックホルム症候群シンドローム




「愛しています。綱吉君」

骸が紡ぐ睦言をいつものように綱吉は聞き流した。

「愛してるんです。でも、ときどき本当に僕は君を好きなのか分からなくなる」

しかしいつもと違う様子に骸のほうを見てみる。
いつもと同じような笑顔。笑顔。笑顔。
でも綱吉には骸が泣いてるように見えた。骸が泣くところなんて見たことはなかったが、そう見えた。

「綱吉君はストックホルム症候群というものを知っていますか」

「えっとたしかヨーロッパのどっかの地名?」

「はい。スウェーデンの首都です。そこで銀行強盗人質立てこもり事件がありまして、そのとき人質が犯人をかばったという事件があったんです。ストックホルム症候群はその事件から名付けられた精神病の一種です」

「へぇ」

「被害者は犯人と一時的に時間や場所を共有することによって、過度の同情さらには好意等の特別な依存感情を抱いてしまう。原因は恐怖で支配された状況においては、犯人に対して反抗や嫌悪で対応するより、協力・信頼・好意で対応するほうが生存確率が高くからだそうです。無意識ですけど」

骸は饒舌に、しかし坦々と話す。そこに感情の色は見えない。

「ようするにドラマなんかで犯人と被害者が恋に落ちるなんていうのもこれですね」

「いや、それはちょっと違う気が・・・」

思わずそうつっこむ。そんなのが原因だったらドラマチックでもなんでもない。

「クフフ・・・」

つっこんだ綱吉に骸が笑いをこぼす。しかしその和やかな空気もすぐに霧散した。こつんと骸の額が肩の辺りに当てられる。

「愛しています。愛してるんです。綱吉君」

いつもと同じ台詞。いつもと違う暗い声。自分の肩に隠されて骸の表情は綱吉からは分からない。

「愛しています。でも時々分からなくなるんです。僕は本当に君が好きなのか。僕が本当に好きなのは君なのか」

「骸?」

言っている意味が分からない。骸の言っていることはたいがい意味不明なことが多いけど、今日のは聞き流してはいけない気がした。

「僕は君のおかげで生きています。君が僕をあの牢獄から救ってくれた。犬や千種、髑髏たちも此処に置いてくれている。ボンゴレに仕え従うという条件付で僕はこうして自由にさせてもらっている。もちろん感謝しています。でも、だからこそ不安になるんです。僕は僕の意思で君を好きなわけじゃなくて、本当はただあそこに戻りたくないから君が好きな振りをしているだけなんじゃないかって・・・!」

骸の腕が肩を掴む。その力に思わず眉をひそめた。痣になるかもしれないな。そう思ったが骸の好きにさせてやる。

「愛しています愛しています愛しています―・・・!」

悲鳴のように言葉を吐きながら骸が顔を上げ、綱吉を見る。その色違いの両目には予想外なことに涙はなかった。声は泣いていないことが不思議なほど震えているのに。

「綱吉君、分からないんです。僕は君を好きなんですか。僕が好きなのは誰なんですか。綱吉君?ドン・ボンゴレ?君は誰ですか。何なんですか。僕は、僕は。同情?恐怖?僕は君が好きなのに、この想いすら嘘なんですか」

どんなに悲しげな声を上げても、苦しそうな顔をしても骸は泣かなかった。いっそ泣いてしまえば楽だと思うのに・・・。綱吉はそっと骸の頭を抱え、瞼に唇を落とす。

「骸。お前が誰を好きだろうと俺はお前が好きだよ。お前が敵でも味方でも、男でも女でも、俺はお前を愛しているよ。俺の目の前にいる、泣けないお前を愛おしく思っているよ」

あやすように言いながら、独特の分け目の頭を撫でる。

「さぁもうお休み、骸。明日も仕事だろう?」

少し落ち着いた骸をドアのほうへと連れて行く。

「・・・・・・綱吉君は?」

俯きながら、骸は綱吉の服の裾をぎゅっと握り締めて言った。身長差のせいで俯いても顔が見えるからあんまり意味がないなと、迷子になった子供にも似た表情をした骸を見ながら思う。

「大丈夫だよ。俺は此処にいるよ。お前の傍にいるよ」

そう言うとおずおずと手を離した。

「・・・分かりました。おやすみなさい、Carissimo」

「オヤスミ、骸。俺も愛しているよ」

襟を掴んで屈めさせ、額にキスをした。



ぱたんとドアが閉まる。骸の気配が離れていく。
はぁ、溜め息を吐いてドアにもたれかかった。

「ストックホルム症候群ね・・・。確かにそうかもしれないな。こうやっていつまでも閉じ込めているんだから」

以前ならともかく、今の綱吉が命じれば別に手元に置かずとも骸たちを自由に出来るのだ。だけどしない。骸が離れていってしまうのが怖い。鎖を放してなお、骸が自分の下に留まってくれる自信がない。

「それでも愛してるんだよ。骸」

しゃがみこむと、ジャラリと鎖の音がした気がした。



がれているのはどっち