雨
ノックをしても友人の返事はなかった。 「………ツナ?入るぞ」 嫌な予感とほんの少しの期待を込めて戸を開ける。正面に置かれた机の上に綱吉は顔を伏せていた。 「ツナ、寝てんのか?」 学生時代によく見た風景だ。ツナが授業中にうとうとしたのを教師が叱って、それに獄寺がつっかかって。俺はそれを笑って見ていた。今、伏せられた友人の顔は見えない。身動ぎもしない姿はまるで死んでいるかのようだ。 「ツナ?」 近づくと微かに寝息が聞こえてくる。そのことに俺は息を吐いた。安堵を込めたその吐息には、おそらく微かな落胆も含まれていた。 「なぁ、ツナ」 すぐ隣りまで近づいて、髪に触れても綱吉は起きない。顔にかかる髪を除けると、未だ幼さを残す顔が見えた。その表情は穏やかで、それでも以前よりどこか疲れているように見えた。……ああ、それとも憑かれているのか。 しょうもない考えに自嘲の笑みをこぼす。本当にそうだったらどんなにいいか。俺は幽霊なんて信じちゃいないけれど、今この場にあいつの幽霊がいたらいいと思っている。それでも希望と現実は違うのだ。俺は幽霊なんて信じられない。 それでも、それでも、だから……。 「なぁツナ、逃げることの何が悪いっていうんだ」 雲雀は綱吉に『逃げるな』と告げたらしい。「真っ赤な眼で責められちゃった。あの人も泣くことがあるんだね」そう友人は笑って言った。その笑みが傷ついているのか、何も感じていないのか、俺には分からなかった。けれど雲雀、逃げることの何が悪い。そうしなければ生きられないっていうんなら、逃げることの何が悪いんだ。 「俺は逃げたよ。お前が救ってくれたけれど。それでも、あのとき逃げなければ今の俺はなかった」 今でも屋上で見たあの青を覚えている。あの絶望を、自分の弱さを、光を、俺は確かに覚えている。骸、お前は今のツナを見たら何て言うだろう。笑うだろうか、泣くだろうか。お前も逃げるなと言うのだろうか。 「逃げてもいい。狂ってもいい。俺はお前が生きているのなら、それで幸せならそれでいい」 そっと綱吉の首筋に手を添える。薄い皮膚の下に動脈の動きを感じた。いっそこのままこの首を絞めてやるべきなのかもしれない。骸の死にいつか泣くなら、今この幸福のなか眠らせてやるべきなのかもしれない。このまま少し力を込めるだけで、この細い首はあっけなく絞まるだろう。ああ、でも少しの力では気管だけが絞まって苦しいか。一気に動脈まで絞めてやらないと。血が止まって、呼吸が止まって、それだけでもう二度とこの友人は目覚めない。なぁ、ツナ。お前もそれを望んでいるのか?だから今も目覚めないのか? 「……ごめんな、ツナ」 首から手を離し、肩を掴んで揺する。名を数回呼ぶと、綱吉は呻き声を上げる。 「んん、ぁ山本?」 「よっ!こんな所で寝てんなよー。頬に痕付いてるぜ?」 「え!?どこどこ!?」 頬を擦る綱吉が骸に何か言われたらしく、空中に向かって頬を膨らます。 「よく分かんないけど、仲良いのなー」 彼の視線の先に俺は何も見えなかったけれど、それでも笑う友人に俺も笑った。 お前が逃げるのならば、俺も一緒に逃げてもいいだろう? |