嵐
ノックする前に、祈るような気持ちで耳を澄ます。最近できた癖だ。その癖に従って十代目の執務室の扉の前で耳を澄ますと、楽しそうに笑う十代目の声が聞こえた。そのことにぞわりと背筋が粟立つ。それをやり過ごすように一度ゆっくりと深呼吸をして手の甲で扉を叩いた。 「はーい、どうぞー」 「失礼します」 扉を開くと正面に十代目のデスクが見えた。重厚だが繊細な模様の入ったそれは就任祝いに九代目から頂いたものだ。逆に椅子はシンプルな黒い革張りで、座り心地を重視して十代目自身が選ばれた。 「どうしたの?獄寺君」 にっこりと十代目が笑う。 「お忙しいところすいません。至急見ていただきたい書類がありまして・・・」 持ってきた書類の束を示すと十代目はずるずると机に突っ伏す。 「うげぇ、また増えたぁ」 その学生時代と変わらない様子に思わず笑みが浮かんだ。しかしその笑みもすぐに消える。 「うぅ、分かってるって。ちゃんとやーりーまーすー」 十代目はそう言って、身体は机に伏せたまま顔だけを後ろに向け唇を尖らせる。 「え、マジで?・・・・・・・・・うん、そうそう!・・・・・・・・・へぇ、じゃあ頑張ろっかな」 斜め後ろに向かってしばらく話した後、ぐーっと伸びをして、十代目は俺のほうを向いた。 「放置してごめんねー、獄寺君。書類ってこれだけで大丈夫?」 へらりと笑う十代目の顔は明るい。今はきっと幹部の誰よりも。 「・・・・・・ええ、今のところ以上です」 強張りそうになる顔の筋肉を無理矢理動かして、笑顔の形を作った。その顔にそっと十代目の手が伸びる。 「平気?なんか顔色悪いみたいだけど、疲れてる?」 俺の頬に手を当てて、十代目が僅かに眉を下げた。その気遣いを嬉しく感じながらも、俺の身体は無意識のうちにその手から逃れようと動く。 「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」 「そう?ならいいんだけど。・・・・・・・・・ってなんだよ、贔屓?そんなんじゃないって。・・・・・・・・・うんうん・・・・・・・・・何言ってんだよ。それはお前が一番知っているくせに・・・・・・・・・ははっ!まったく骸は馬鹿だなぁ」 十代目が後ろを向いて笑いかける。ひとりで笑う。 骸。一週間前に死んだ。 十代目が骸に笑う。虚空に笑う。 俺には見えない。だが、十代目が居ると言うのだから、骸はそこに居るのだろう。 「それでは、俺は失礼しますね」 「え?あ、うん」 いつもよりも短い滞在に十代目が疑問の声をあげる。それはそうだろう。普段だったら俺はなんだかんだと理由を付けて、十代目のお傍についていようとしてるから。でも今はその声から逃れるように俺は部屋から出た。あれ以上あの場に居たくなかった。あれ以上あの場に居たら、否定の言葉を吐いてしまいそうな気がした。 「十代目・・・・・・」 扉ごしに部屋の中から声が聞こえる。俺はそれにそっと耳を塞いだ。 十代目がこれで幸せなら、否定なんてしたくなかった。 俺は一週間前、一体誰を思って泣いたのだろうか。 |