「あ〜もう、なんでお前なんだよ」
 居心地悪そうにスーツを着て綱吉はそう言った。マフィアというより就職活動中の学生、下手すれば七五三のような印象だ。
「仕方がないでしょう。僕しか適当なのがいなかったんですから。嫌なら早く言葉ぐらい覚えたらどうですか僕だって面倒なんですよ。」
 綱吉の斜め後ろを歩きながら骸は今日の会談の相手について考える。確か前回、揉めた相手だ。通訳として同行した獄寺がいきなり殴りかかったらしい。綱吉の話では相手が獄寺に何か言ったとのことだったが、頑として獄寺はその内容を明かさなかった。そのため骸にお鉢が回ってきたのだ。他の守護者はイタリア語もしくは日本語が話せないか、交渉に向かない性格をしている。
「無理だよ。英語なんて中高で6年やったんだよ?それでも分かんないんだから、イタリア語なんてムリムリ」
 そう苦笑する綱吉に首をかしげる。骸は言語で苦労したことはなかった。日本語も英語もイタリア語も骸にしてみれば、母国語と変わらない。勉強するという意識すらなく、気がつけば使えていた。
「君よっぽど馬鹿なんですねぇ。世界的に言えば日本語のほうが難しいらしいですよ?」
「関係ないって。それより骸、今日のことだけど・・・・・・」
「はい。なんですか?」
 足を止め、綱吉が振り向く。骸がにっこり笑って聞き返すと、何か言い迷うように口をぱくぱくさせた。骸のこの笑顔に綱吉は弱い。といっても見惚れているわけではない。単に骸がこう笑うとき、機嫌が良くないことを知っているからだ。触らぬ神に祟りなしとでも言うように大概黙り込む。
「あー・・・うん。まあいいや。お前ちゃんと訳せよ」
 何か言いかけてやめる。大方、獄寺の件が気になっているのだろう。目に気遣いのようなものが浮かんでいた。相変わらず甘いことだ。


『ああ!こんにちは。お会いできて光栄です、ドン・ボンゴレ!』
 扉を開けると、ところどころに白髪の目立つ男が立ち上がって骸たちを迎えた。
『こちらこそまたお会いできて嬉しいです。前回はうちのものが失礼しました』
 二人が話す言葉を骸がお互いに分かるように訳して伝えていく。
『お気になさらず。そういえば今日の通訳は違う方なんですね』
 にこやかに笑うこの男を骸は好きになることはないと思った。マフィアだから、という訳ではない。吟味するような、舐めまわす視線が鬱陶しかった。
『はじめまして、ドン・シュリンプ。今回通訳を務めさせていただきます六道骸と申します』
 それでもいつもの様に猫をかぶってにっこりと笑う。愚かしいことに骸をよく知っている人間以外は大抵この笑顔に騙されるのだ。美しい顔に浮かぶ、好意的な笑顔。その全てが偽りだとは気付かない。
『これはこれは、はじめまして。貴方のような美しい部下を持ってボンゴレは幸せですな』
 その言葉を笑顔で受け流していると、くいっと袖を引っ張られた。綱吉だ。
「お前、ちゃんと訳せよ。なんだって?」
「別に自己紹介しただけですよ。そんなの訳す必要ないでしょう」
「まあ、そうだけどさ。俺、放置されたら不安じゃんか」
 本当にどこまでもマフィアらしくない男だと思う。自分の弱いところはたとえ部下であろうと見せるべきではないだろうに。
『大丈夫かい?何か問題でも?』
『いいえ、なんでもありません。それでは本題に入りましょうか』
 男が骸と綱吉を見て笑う。気持ちが悪かった。嗚呼、早く帰りたい。


 会談は至って順調に進んだ。前回、こちらがしたことを考えれば相手の対応は破格と言ってもよかった。
『それでは、そういうことで。よろしくお願いします』
『こちらこそ、よい結果を期待していますよ』
『ええ、ありがとうございます』
 その言葉を区切りにお互い席を立つ。思いのほか早く終わったことに骸が内心安堵した。しかし別れの挨拶を済まし、扉に向かおうとしたところで声をかけられた。
『六道骸君だったかな?』
『はい、なんでしょうか?』
 ドン・シュリンプが笑う。その笑顔に透ける下心。
『君は本当に美しい。どうかなボンゴレを抜けて、うちに来る気はないかい?立場も金も今以上のものを用意しよう。仕事も別にしなくていい。ただ、私の傍にいてくれれば』
 あまりに予想通りの言葉に骸はいっそ笑いだしそうだった。そしてそれ以上に吐き気がした。それでもそれを隠して猫をかぶり続ける。笑顔に困ったような表情をのせて牽制する。
『ああ、もちろん今すぐ返事をしなくてもいい。その気になったらいつでも連絡しておくれ』
 汗ばんだ両の手で手を握られた。鳥肌が立ち、思わず振り払いそうになるのを必死に堪える。この男は猫の逆立つ毛が見えないのだろうか。
『いえ、すいません。お誘いは嬉しいのですが、私はドン・ボンゴレの守護者ですのでお期待には副いかねます』
 それでも我慢して当たり障りのないように断る。問題を起こすわけにはいかない。イタリア語で話す二人を綱吉が不審そうな目で見ている。
『君もあの日本人が良いと?はっあんな子供の何処がそんなにいいのかね。・・・・・・ああ、でも確かに美しくはないが女のような顔をしているし、案外良い声で鳴くのかな』
 断ったとたんにがらりと言葉遣いが変わる。顔は相変わらずにこやかだったが、目が笑っていない。侮蔑するように綱吉を見下ろし嘲笑う。
 獄寺がこの男を殴った理由はこれだろうと骸はぼんやりと思う。あの忠犬ならこの男の申し出は即断っただろう。それはきっと今以上に男の感に触ったに違いない。骸に言ったのよりもっと明け透けに綱吉を侮辱したかもしれない。この腐りきった男を殴った獄寺に共感と賞賛を覚えながら、骸はそっと目を閉じて息を吐いた。そうしなければ獄寺の二の舞を踏みそうだった。
『それでは、ドン・シュリンプ。私たちはこれで失礼します』
 もう一度笑顔を貼り付けると、先ほどの言葉など聞いていなかったように別れを告げる。その行動が以外だったのか男は肩眉を上げた。
『ええ、そうですね。またお会いできる日を楽しみにしていますよ』
 どうやら骸の行動はこの男の好みであったらしい。愉悦を堪えきれぬように笑う。その笑顔に本当に吐き気がこみ上げてきて、骸は綱吉を促し部屋を出て行く。
「Arrivdederci」また会いましょう
 扉が閉まる直前にそう声をかけられた。
バタン。
「・・・Addio」さようなら
 扉が閉まってから小さな声で呟く。二度と会いたくない。


 部屋を出たとたん早足で歩く骸を綱吉が小走りで追いかける。骸の方をちらちらと伺いながら「う〜」やら「あ〜」やら唸っている。
「なんですか。言いたいことがあるなら言ったらどうです。鬱陶しい」
「あー・・・、あのさ、最後ドン・シュリンプに何か言われた?」
 鬱陶しいと言われたことなど気にも留めずに、ただ骸を心配したようすで綱吉が告げる。それを見て骸はなんだか泣きたい気持ちになった。ささくれだった心が癒えていく。
「どうしてそう思うんです?」
「だってなんかお前ドン・シュリンプと話しているとき、なんか我慢しているみたいだったし今も機嫌悪いし」
 その言葉に骸は笑う。作った笑顔ではなく、ほんの少しだけ泣きそうになりながら、骸は笑う。
「なんでもないですよ。訳さなかったのは単に君には日本語でも理解できないような高尚な世間話をしていたからです」
「な!?高尚な世間話ってどんなんだよー!?」
 つっこむ綱吉を見て、骸は安堵する。上手く話をそらせたようだ。あんな男の言葉など知られたくなかった。
「ああ、もう!ほんとにイタリア語しゃべれるように頑張ろうかなぁ」
 背骨を伸ばしながら綱吉がぼやく。その言葉にどきっとした。彼がイタリア語を覚える・・・?
「無駄なことはしないほうがいいと思いますけど」
「なんだよ。俺だってやれば・・・」
「やってできないから僕がいるんじゃないですか」
 そう告げると不満そうな顔で言葉を詰まらせる。そう、それでいい。君はあんな言葉など覚える必要ない。
「君は僕の言葉だけ聞いていれば良いんですよ」

 どうか傷つかないで。




どうかこのまま  ちろ バベル