廊下の隅で膝を抱えてしゃがみこむ。たぶんここは屋敷の外れ、あまり使われていない一角だろう。こんなところでも座り込むのに躊躇しないほど掃除は行き届いていて、さすがはボンゴレだと頭の隅で思った。
 鼻水が垂れてズッと鼻をすする。涙と共に鼻が出てしまうのは小さい時から変わらず、いつまで経っても俺はあの人みたいに綺麗に泣けない。
 そう思うと更に泣けてきて俺は顔を膝に埋めた。

「ランボ?」

 声に顔を上げるとツナが心配そうに俺を覗き込んでいる。
ツンツンとはねる薄茶の髪の毛も下がった眉もさっき見た彼とほとんど変わらない。Tシャツがスーツになっただけ。

「どうしてこんな所にいるの?」
「お、おれ、さっきまで十年前に、グズッ行ってて……。たぶ、ん十年前の俺が…っ」

 嗚咽につっかえながら告げる。
 向こうに行くまでは普通に部屋に居たはずだ。五歳の俺がどうしてこんなところに来たのかは分からないけれど、人気のないところで正直助かった。俺は今も泣き虫のままだけど、あの頃と違って人前で泣くのが恥ずかしいってぐらいは思うようになった。……結局見つかっちゃったけれど。

「そっか。で、ランボはまた向こうでリボーンに苛められた?」

 よしよし、と優しい手に撫でられる。俺を撫でるしぐさは昔より優しくなったと思う。昔の俺は自分でもウザかったと思うから当然かもしれない。今、俺は昔よりマシになれているだろうか。あの人に嫌われない俺で在れているだろうか。
 声が詰まって喋れなくてぶんぶん首を振る。

「リボーンじゃないの?じゃあ獄寺君?」

 仕方がないなぁとばかりに笑いを含んだ声に更に首を振る。

「む、むくろさんがいて……」

 十年前の世界で幼いあの人は笑っていた。当たり前かもしれないけれど、生きていた。この世界にはもういないのに。もう会えないのに。

「骸に苛められたの?」

 あっけらかんと口にされたその名前に顔を上げる。どうして。

「ボンゴレは、哀しくないんですか」

 思わず口にした言葉に次の瞬間、後悔した。俺は何を言っているんだろう。あの人が死んで一番悲しんでいるのはツナなのに。ツナが一番あの人と親しかったのに。

「すいませっ」
「んー悲しくはないなぁ」

謝ろうとした言葉はツナの声に掻き消される。

「え?」

 ツナは変わらない。さっきまで骸さんと笑っていた十年前のツナと変わらない。泣かない。悲しまない。ねぇどうして。
 俺の困惑が伝わったのか、ツナは自分の肩の辺りを指すと困ったように笑う。

「やっぱりランボにも見えない?この辺に骸居るんだけど」
「骸さんが?」
「うん、俺の背後霊みたいな?」

 肩を竦めて笑うツナに俺はぽかんとツナの肩を見る。何も見えない。腫れて熱い瞼をこすってみる。やっぱり見えない。

「見えない、みたいです」
「そっか」

 眉を下げて笑うツナは全然哀しそうじゃない。それはそうだ。だってツナにはあの人が見えているんだから。

「でも居るんですよね、骸さんそこに」
「でも居るんだよね、これが」
「そっか」
「うん」

 涙でベタベタになった頬を服の袖で拭う。

「そっか、ならよかったぁ」

 そう言って久しぶりに俺は笑った。




 *****




「ボンゴレには見えるんだって。俺が会えないのは寂しいけど、ボンゴレと一緒なら骸さんは寂しくないもんね」
「ずっと一緒なんて幸せだよね」
「ね、イーピン」

 そう言って嬉しそうに笑うランボとは対照的にアタシは顔を顰める。
ランボの眼は赤い。アタシの眼も赤いだろう。久しぶりに会った、沢田さんの眼は赤くなかった。

 ねぇ、ランボ。それはきっと幸せなんかじゃないよ。
 それはきっと、とても哀しいこと。寂しいこと。
 幸福なんかじゃきっと、ない。

 そう思ったけれど、やっと笑ったランボにそれを告げることもできず、アタシは一人何度目かの涙を落とした。



2008/10/22