「綱吉くーん」

 背後からぬっと伸びた白い腕に思わずぎょっとする。多少は慣れたけど、驚くのも仕方がないと思う。慣れ親しんだものとはいえ、だって透き通っている。俺が驚いたことに小さく笑いながら、その腕は俺の首に絡みついた。

「こら、邪魔すんな」
「えー。だって、暇なんですよぉ」
「俺は暇じゃないの。骸と違って!」

 書類の山をどんっと叩いて、当てつけるように言うが、骸は気にした様子もない。俺の首から手を放すと、ふわふわと宙に浮いて上から俺の顔を覗き込んだ。上下逆さまになった骸の顔がにんまりと笑う。普段は俺から見て左にある赤い瞳が右にあるのはなんだか変な感じだ。

「ふぅ、おばけって楽そうだよなぁ」

 ふわふわ浮くのも宇宙空間みたいで楽しそうだし。俺が肩肘付いてそうぼやくと、骸は空中でくるりと体勢を戻し、デスクに腰掛けるような形で留まる。

「でも触れないし、君以外に見えないし。案外退屈なもんですよ。幽霊って」

 おばけ、幽霊、ゴースト、どれでもいい。すべて今の骸を示す言葉だ。数日前、骸は死んだ。馬鹿馬鹿しくなるほどあっけなく。あまりのあっけなさに俺は葬儀になっても骸が死んだなんて信じられなかった。涙を流す人もちらほらいる中、俺一人現実感のないまま死体に触れた。その冷たさに思わず骸の名を叫んだ。そしたらまさかのまさかで返事があったのだ。振り向けば半透明に透けた姿でいつものように微笑む骸の姿があった。俺はその姿を見たとき、驚く以上に納得してしまった。

「ぷ、ははははははははは!おま、骸、なんつー格好してんの。ああ、もうっほら、やっぱりお前がこんな簡単に死ぬなんて可笑しいと思ったんだ!」

 馬鹿馬鹿しさと安堵で俺は葬儀中だというのに思いっきり笑ってしまった。みんなに骸の姿が見えていれば問題なかったのだろうけど、困ったことに骸の姿が見えているのは俺だけのようだった。獄寺君たちに事情を説明してみたのだが、やはり骸の姿も声も分からないらしく、逆に困らしてしまった。その獄寺君の目も少し赤くて、何だかんだ言っても仲良かったんだなぁと微笑ましくもあったけど。

「じゃあ俺の仕事手伝ってくれよー。お前がいなくなった分の仕事もあるんだからな」
「嫌ですよ。そんな面倒臭い」

 飄々と抜かしやがる暇人を思わず睨みつけた。骸は現世にいても特にすることもないのか、背後霊のようにずっと俺に付きまとっている。むしろ憑いている。

「けちー」

 ぶぅっと頬をふくらまして文句を言うと、骸がくすくす笑った。ふわりと身を浮かすと机の上に乗って膝立ちになる。

「クフフ、子供じゃないんですから」

 骸の透明な指が俺の頬に伸びる。それに促されるようにして俺は目を閉じた。

「触れられないのが、幽霊の嫌なところだね」

 唇が触れられたのかどうか、わからないまま目を開ける。すぐ傍に骸の顔があった。まばたきの音すら聞こえそうな距離なのに、吐息すら伝わらない。

「そうですね。これじゃあ何にもできません」

 幽霊は冷たいというけれど、骸には温度がなかった。冷たければ良かったのに。触れられないのなら、せめて温度くらい感じたい。

「骸」
「はい?」

 抱きしめようと伸ばした腕すら突き抜けてしまう。

「骸は、ずっといるよね?もう死んでるから死なないし。ずっと、俺のそばにいるよね?」

 縋るような声に骸は優しく微笑む。

「僕は貴方です。大丈夫、貴方が望む限りずっといますよ」

 その意味は良く分からなかったけれど、『ずっといる』というその言葉だけに安堵して俺も笑う。

「うん、お前は俺のなんだから。勝手にいなくなったら許さないからな」

 俺のこんな傲慢な言葉にも、骸は仕方がない人だと笑ってくれる。死んでから骸は俺にちょっと優しくなった気がする。

「えへへー」

 触ることができなくなったのは辛いけれど、いつも一緒に居られることはちょっとうざくてかなり嬉しい。にへらっと緩んだ笑みを浮かべた俺の頭を、透明な指先が通過する。

「あ、でもトイレでは消えてね」

 その言葉に骸がにやりと意地悪く笑った。




2008/9/9