Never never forget...




「どうか忘れないでください」

 それが骸の口癖だった。
 他人に忘れるなと言うだけあって、骸の記憶力は半端なく良かった。昨日の夕飯どころか、一月前の天気すら覚えている。そのうえ前世の記憶まであるというのだから、我ながら忘れっぽいと自覚している俺には信じがたいことだ。骸は忘れたことがないという。失念してしまうことがあっても、そのことの記憶を失うことは経験したことがないのだそうだ。忘れることができないということがどういうことなのか、そのとき俺はいまひとつ想像できなかった。テストのとき便利だろうなぁと思ったぐらいだった。

 「忘却は神が人に与えた救いなんだよ」
 そう聞いたとき、俺は思わず納得してしまった。きっと、骸は神様に嫌われているのだ。それと同時に俺は骸を哀れんだ。忘れることが出来ないということは、骸は自分の失敗も失態もずっと覚えているのだ。もしも俺が自分がしでかしたダメッぷりをすべて覚えていたら、とっくに恥ずかしくて死んでいる。骸は覚えているのだろうか。自分の殺した人間の血の赤さまで。だとしたらそれはとても辛いことのような気がした。

「忘れないでください」

 それでも、ことあるごとに骸は俺に言った。教科書を忘れたとき。約束を破ったとき。キスをしたあと。笑いながら、怒りながら、泣きながら、骸は言った。

「忘れないで」

 そこにはいつも諦めと孤独が滲んでいた。俺は俺を信じず諦める骸が嫌で、俺がいるのに独りになる骸が嫌で、頷くのだ。忘れない。そんなこと無理だと知っているのに。


の長さを知っています



「どうか忘れないでください。僕は決して忘れません。君の笑顔も涙もその一瞬のまばたきですら忘れることはないでしょう。だからどうか君も忘れないで。死んで生まれ変わっても、どうかひとかけらでいいから僕のことを覚えていて」

 この言葉すらたった一月前のことだ。あのときはまだ骸は永遠を知っていた。少なくとも自分の記憶が途絶えることなどないと信じていた。しかし、ある日突然、永遠は消えた。
 特に何かあったというわけではない。ごく普通の日常を過ごしていただけだった。しかし、どんなに大きな容器でも長い年月をかけて水を注ぎ続ければいつかは溢れるように、骸の記憶も溢れだした。なんていうこともない。骸の記憶は永遠などではなく、ただ他人より容量が多いだけだったのだ。

「どうして。どうしてどうしてどうして・・・!思い出せない!あの日僕は一体何をした?あれは誰だ?誰を殺した?・・・・・・いやだ。忘れたくない。忘れたくない。忘れたくない。忘れたくない。
――だれかたすけて」

 はじめて経験する忘却に骸は耐えられなかった。失った記憶に頭を掻き毟り、記憶を辿ってはぶつぶつと呟き、俺に縋りついて泣いた。忘れたくないのだと、忘れることが恐ろしいと骸は泣いた。

「思い出せないんです。どんどん忘れていってしまう。一つ前の生のことすら薄れていってしまっている。いやだ。僕はなにも忘れたくない。忘れたくなんかないのに・・・!」

(それが普通の人間なんだよ、骸)
 俺はそう思ったが、言葉にはせずただ骸を抱きしめた。口にすればこの男が化物なのだと認めることになる気がしたのだ。俺は俺の愛したこの哀しい生き物が人間ではないとは思いたくなかった。
 泣き縋る骸を抱きしめながら思わず俺はそっと笑う。忘却は記憶と共に諦めも孤独も骸から奪っていった。もうこの男が口にすることはないだろう。

忘れないで

 お前も俺のことなんて忘れてしまえばいい。だってお前だけが覚えているなんて不公平だろう?

Do you remember me?