記憶の土に私を埋めて




 それはまだ名前の無い頃。
 私は彼に出会い、そして・・・・・・。
「×××。俺は日本に行くよ」
 呼ばれた名に眉を顰めた。そう呼ぶなと何度も言ったのにこの人はいっこうにきかない。しかしその事実よりそのあと彼が言った言葉のほうが重要だった。
「日本へ?いつまでですか?」
 仕事だろうか。旅行に行けるほど暇ではないはずだ。どちらにしてもあんな辺境の地に一体何をしに行くというのだろう。
「期間は俺が死ぬまでだよ。あっちで定住しようと思う」
 私の予想に反して彼はほんの少し苦笑して言った。意味が分からなかったらどんなにか楽だったろう。しかし私はそんなふうに愚かにはなれなかった。知ってしまっていた。彼の望みを。
「わたしたちのことは捨てるのですか」
「いいや、逃げるんだよ」
 彼の細く筋ばった手が×××の頭を撫でる。子ども扱いされるのはこれが初めてではない。精神年齢がどうあれ、自分が子供のなりをしていることに変わりはなかった。それでも、もっとこの背が高ければ、この手が大きければ、彼を止めることが出来るだろうか。もしくは彼と同じ目線でせめて付いて行くことぐらいはできるのだろうか。
「つれていってはくださらないのでしょう?」
「ああ、お前はここであいつの力になってやってくれ」
 二代目は彼を恨み始めていた。なんということもない。彼が完璧すぎたのだ。彼のようになれない自分を嫌い、あの子供は見当違いにも彼を憎むようになっていった。なんて愚か。それでも彼は二代目を愛していたし、家族のことも愛していた。だから去るのだろう。争いの火種として。
「あなたではなくボンゴレにつかえる。それが約束ですものね」
 それでもついていきたかった。傍にいたかった。
「×××」
「それはわたしの名前ではないといっているでしょう?」
 何度言っても聞かない。本当にしょうがない人。もっともそれ以外に名前のない私も悪いのだけれど。
「じゃあ俺の霧、俺はお前をなんて呼べばいい?」







「・・・くろ!おいっ骸ってば!」
 ぱちりと目を開ければ目の前には愛おしい人。嗚呼
「・・・・・・帰ってきてくれたんですね、ボンゴレ」
「はあ?何言ってんの、お前」
 その言葉にもう一度ぱちりとまばたきをする。目の前にいたのは綱吉だった。どう見ても沢田綱吉だった。僕は今、彼を誰だと思ったのだろう。
「ほら、骸。もう次で降りるんだから、寝ぼけてないでさっさと起きてよ」
 がたんがたんという振動に自分が電車の中で眠ってしまったのだと思い出す。疲れていたのだろうか。外で眠ったのは初めてだった。何か夢を見ていた気がするが、掴もうとしたら消えてしまって、ぼんやりとした感触を残すばかりだ。
「珍しいなお前が転寝なんて」
「すいません、護衛失格ですね」
 ポケットから切符を取り出すと改札を抜ける。
「別に護衛なんていらないからいいけど」
「けど?」
 駅は閑散としていた。小さなコンビニと書店と花屋、あとは薬局ぐらいしか店がなく、あとは住宅地が続いている。
「お前の名前を呼ぶのは少し恥ずかしかった」
「・・・・・・僕のことが好きすぎて名前を呼ぶだけで照れちゃうってことですか」
「ち・が・う!単にお前の名前が変だから!」
 そう言い放つと綱吉はずんずんと花屋のほうへ歩いていった。僕はそのあとを肩を竦ませついていく。花屋では菊の花束を買った。店のおばさんににっこりと笑うとおまけに飴を二つくれた。「たらしが・・・」と綱吉が呟いたのは聞かない振りをする。
「だいたいさぁ、なんでお前って骸っていうの?」
「シェイクスピアですか?」
「へ?何が?」
 片手に花を持ち、口の中で飴を転がしながらゆったりと坂を上る。目的地まで駅から歩いて20分位とあったが、この調子なら30分以上かかるかもしれない。
「『おお、ロミオ。貴方はどうしてロミオなの』有名でしょう?」
「ああ。そうじゃなくて、どうしてお前の親が骸って名前をつけたのかって意味」
「別に骸は親が付けた名前じゃありませんよ」
「ふうん、じゃあ誰が?」
 この人は名前というものがその人の幸福を願って付けられるものだと疑ってもいない。なんてしあわせなひと。でもそんな人間ばかりではないのだ。識別記号としてしか与えられない名や、呪いの為の名もこの世界にはあるのだ。彼がこれから入る、裏の世界ならなおさらだ。
「誰でもありません。僕が自分で付けました」
「自分でって・・・。リボーンじゃあるまいし、そんなこと無理だろ」
 確かにアルコバレーノなら産まれたその日に自分で名乗るくらいはできそうだ。でも僕は違う。
「そもそも六道骸はこの身体の名前ではないんですよ。僕の、巡り続ける魂の名前です」
 からり。口の中で飴を転がす。
「もはや、いつからそう名乗っているのかも何故この名にしたのかも覚えていません。気がつけばそう名乗っていました。巡るたびに身体に与えられる名前を捨て、自ら死体となって時を止める。そう彼と約束したんです」
「やくそく?」
 そう呟いた綱吉の声にどこかへとんでいた意識が戻る。約束?一体誰と。僕は今何を口走った?
「じゃあ、なんでお前が骸なのかは結局分からないんだ・・・」
 黙り込んだ僕を見て、踏み込むべきではないと思ったのか綱吉はそう切り出した。その優しさを今は愛しく思う。
「君が望むなら今からでも理由を付けましょうか。そうですね、例えば」
 花束を持っていないほうの手を掴むと綱吉がこちらを振り返った。その手を両手で包むとじっと彼の目を見つめて演技がかった調子で囁く。
「君と出会うまで僕は死んでいるも同じでした。君と出会って僕は初めて生きたのです。だから君に会う以前は骸だったのです」
 みるみる赤くなる綱吉を微笑ましく思うと同時になにか違和感を感じた。記憶の琴線に触ったような、どこかで既に彼にこう告げたような気がするデジャブ。
「綱吉君、以前もこんなこと言ったことありましたっけ・・・?」
「はあ!?ないよ!!」
 照れて赤くなった頬を冷ますように綱吉が空いた手をぱたぱたと動かしている。一体なんなのだろう。思い出せそうで思い出せない。掴めそうで掴めない。忘れっぽい方ではない、むしろ記憶力が良すぎるほうだ。前世も記憶にある限りならほとんど全て覚えている。思い出せない気持ち悪さにイライラして小さくなった飴を噛み砕く。甘ったるさに吐き気すらした。






 そうこうしているうちに目的地。そこは小さな霊園だった。立ち並ぶ墓の中を綱吉はアルコバレーノに貰った地図を見ながら進んでいく。彼岸にも盆にもずれている今、墓参りに来ているのは僕ら二人だけだった。同じような形の無数の石に酔いそうになりながらも綱吉の後ろについていく。そして外れのほうの小さな墓の前で綱吉は止まった。
 それが『初代』の墓だった。
 作法通りに花を供え、水をかける。綱吉がしゃがんで手を合わせるのを骸はただ見ていた。
「これがボンゴレの墓なんだね・・・」
 ドクン
 綱吉のその呟きを聞いた瞬間、骸は心臓を掴まれたような気がした。苦しかった。悲しかった。思わず胸の辺りを掴む。頭に何か入ってくる感覚が気持ち悪くてぼたぼたと涙が落ちた。


  (わすれないでくださいね)
  (わたしはずっとまってますから)
  (あなたのことをずっとずっと)
 呼吸ができない。呻き声をあげたいほどの不快感。しかし声にならず、ただただ涙だけがぼろぼろと零れていく。
  (いくせんの生をこえて、いくまんの死をこえて)
  (ずっとずっとまっています)
  (だって)
  (あなたがいなければわたしはいきていけないもの)
 思考が定まらない。この声はだれなのか。どうして僕は此処にいるのか。忘れないで忘れないで忘れないで?僕は何か忘れてる?
  (わすれないで)
  (わたしはずっとかわらないから)
  (あなたにあうまで死につづけるから)
 五月蝿い五月蝿いうるさいうるさいウルサイウルサイ!!
  (忘れないで、ボンゴレ)
  (貴方に再び会えるときまで)
  (私の名は)
『骸!!』
 がくんっ
 首を揺らされると名前を呼ばれた。それと同時に世界が戻ってくる。
「骸!大丈夫か!?」
 綱吉が心配そうに覗き込んでくる。声はいつのまにか消えていた。
「つ、なよし、くん・・・?」
「どうしたんだよ、いきなり。具合悪いのか?」
 戸惑いながらも必死に背中を撫でてくる手が温かくて、体温が下がっていることが分かった。
「とりあえず、どっか座れるとこ・・・」
「いえ、大丈夫です」
 きょろきょろと辺りを見回しはじめた綱吉を止める。突然流れてきた情報に倦怠感は残っているが、もう気分は悪くなかった。ただ悲しくて、寂しくて、嬉しかった。
「でも・・・」
「それよりも抱きしめてもいいですか」
「はあ!?お前、何言ってんだよ!?」
「抱きしめてもいいですか」
 もう一度繰りかえすと、綱吉は呆れたように溜め息を吐いて少し笑った。
「いいよ」
 そっと広げられた腕に飛び込んで縋りつく。
「会いたかった」
「うん」
「ずっとずっと待ってたんです」
「うん」
「貴方は覚えていないけれど、僕は忘れてしまったけれど、それでもずっと待ってたんです」
 突然泣き出したと思ったら、しがみついて意味不明なことを言って。彼にしたらわけ分からないだろうに、綱吉はずっと抱きしめたまま相槌を僕の話を聞いてくれていた。

「じゃあそろそろ帰ろうか」
 結局、綱吉は何も聞かなかったし僕も何も話さなかった。日は少し傾き始めていて、オレンジ色をおびた光はやわらかい。僕が頷くと、綱吉は来たときと同じように歩き出した。変わらないでいてくれる優しさが嬉しかった。最後に振り向いて墓標を眺める。
「むくろ〜。行くよー」
 その声に駆け出そうとしてふと思い立ち、墓標に近づく。ざらりとした感触の石に手を当て、そのままそっと口付けをする。冷たい石の温度に綱吉が恋しくなった。


 
それでは  さよなら、僕の死体。



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