生
白い天井が見えた。 「っじゅっ十代目ぇ!!」 白かった視界はすぐに見慣れた顔で遮られた。獄寺君がボロボロと涙をこぼして俺にすがり付いている。一体どういうことだろう。 「す、すいませ……、俺……っ」 「、イテテ」 ぎゅうっと抱きしめられると、肩が熱を持ったように痛んだ。あ、そっか俺撃たれたんだっけ。って痛たたたたっ!ギブギブと布団を叩く俺をみかねて、山本が獄寺君を引き離してくれる。 「大丈夫か、ツナ」 「あ、うん」 周りを見ればボンゴレの最新医療を詰めた部屋で、皆が俺を囲むようにしている。 クロームが祈るように組んだ腕でほっと息を吐き、お兄さんがドアの近くで安心したように笑う。俺のベッドにしがみつくように眠っているモジャモジャ頭はランボだろう。振り払おうとする獄寺君を山本が宥めている。雲雀さんの姿はないが、もともとあの人がこんなに群れている中に居られるなんて思っちゃいない。 そして、 『おはようございます、綱吉君』 ふわりと羽が落ちるように、俺の前に降り立って骸が微笑んだ。それに返事をせずに、俺はぎゅっと痛みをやり過ごすように目を瞑る。 「大丈夫ですかっ十代目!?」 俺のその様子に具合が悪くなったと思ったのだろう。獄寺君が山本を振り払ってこちらにくる。 「大丈夫だよ。心配かけてごめんね」 シャマルを呼ぼうとする彼の腕を掴んで止める。痛いけれど、とても痛いけれど、でも痛いのは怪我なんかじゃないんだ。 ねぇ雲雀さん、貴方の痛みもこんなでしたか。今はいないその人に心の中でそっと呼びかける。 「みんな、心配かけて本当にごめん」 「十代目……?」 「ごめん、ちょっとだけ一人にさせて」 後ろ髪をひかれるようにしながら、それでも俺の言葉に従ってくれたみんなを笑顔で見送る。笑顔に、なっているだろうか。 痛い。痛い。痛い。これが絶望か。 それでも、もう気付かない振りなんてできない。 ***** 最後に獄寺君が扉を閉めて、部屋には俺と骸だけが残った。 『僕もいなくなったほうがいいですか?』 「ううん、骸に話があるんだ」 『おや、なんでしょう?』 いま、俺は笑えているだろうか。泣いていないだろうか。俺の前で微笑む骸は変わらない。記憶と何の違いもない。なのに、どうして。 「なぁ、お前は一体誰なんだ」 どうして、俺はこいつを骸じゃないと感じているのだろう。 「気付いちゃたんですね」 目の前の骸がうっそりと笑う。どうしてこんなにも俺の目には骸にしか見えないのに。どうしても超直感がそれを否定してしまう。 「言ったでしょう?僕は貴方だ」 「どういう……」 「おかしいとは思いませんでしたか?本来ならば貴方はあんな襲撃に傷つくようなことは決してない。ボンゴレオブブラッド、超直感によって貴方の身は守られている」 そうだ。だからこそあの時、獄寺君も俺を置いてあの場を離れることが出来た。 「……超直感が使えなくなっている?」 「さっきまでね。そしてそれをしたのは貴方自身ですよ、綱吉君。自ら目を塞ぎ、耳を塞いだ。ただ、僕を見るために」 骸は半透明のまま微笑んでいる。まるでマジックの種を明かすように、どこか晴れ晴れと。 「僕は、貴方だ。沢田綱吉」 微笑みながらしっかり俺を見つめる骸の視線から思わず眼を逸らす。この先の言葉を聞きたくないと思った。 逃げるわけにはいかないと、そう覚悟を決めたはずだったのに。 「僕は貴方が作り出した幻。幻術ですらない、ただの妄想。貴方が思う六道骸の行動しかしないし、出来ない」 「――むくっ」 変わらない骸。優しい骸。優しすぎる骸。 俺はあんな雲雀さんに対して骸がどんな行動をするかなんて予想も付かない。骸が俺のどんなところを好きだったかなんて知らない。 言葉に詰まった俺を見下ろして骸が笑う。頬に向けてそっと伸ばされた腕は半透明だ。 「貴方以外に見えないし、聞こえない。それはそうでしょう、だって僕は貴方が作り出した幻なのですから。超直感は僕を受け入れるために邪魔だったから、貴方自ら捨てたんですよ。だってそうでしょう?そんなものあったら、貴方が六道骸を間違うはずないんですから」 にっこりとそう微笑んで、骸の指が俺の頬に 触 れ た。 「あ………」 「気付きたくなかったと、忘れたいと望むのならばそうすることもできます。やろうと思えば今みたいに、触れているのだと錯覚させることだって出来る。だって僕は貴方だから」 頬に触れる指は細くて、筋張っていて、記憶どおりの骸の指だ。その温度に俺は涙が出そうになる。だって 「……骸は、死んだんだね」 「ええ、六道骸は死んだんですよ」 触れる指は冷たかった。記憶そのままに。冷たい冷たい氷のような、屍の体温。あの日、棺の中の彼に触れたときと同じ温度。 「あの日、貴方には三つの選択肢があった。一つは六道骸を追って死ぬこと。一つは六道骸の言葉を信じて生まれ変わりを待つこと。僕としては最初の選択肢が一番望ましかったと思うのですけどね。だけど貴方は三つ目の選択肢を選んだ。ファミリーを捨てて死ぬこともできず、生まれ変わりを信じることもできず、貴方は逃げた。弱いんだよ。骸を選ぶことも、捨てることも出来ないなんて。もっとさっさと決めるべきだったんだ。そうすれば俺のために骸が死ぬこともなかったんだ!」 いつのまにか目の前の男の姿が変わっている。骸とは似ても似つかない、ひどく見覚えがあるようで、それでも初めて見るような気がするその顔。 眉を寄せてこちらを睨むそいつは、沢田綱吉の、俺の姿をしていた。 「もう一度チャンスをやるよ、沢田綱吉」 左右反転しない鏡のような男は笑う。 「いま、此処で俺に殺されるか。それとも全て忘れるか」 「忘れる……?」 「今までと一緒だよ。骸が死んだことから眼を逸らして、俺の記憶にあるままの骸を映す」 「そんなことっ」 出来るわけない。もう俺は思い出してしまった。骸の死を、あの体温を。 「出来るさ」 俺が否定しようとしたことを、目の前の沢田綱吉はさらりと肯定する。 「世界は自意識で出来ている。超直感を封じて、全てにフィルターをかけて、そうすれば沢田綱吉のなかで骸は蘇る。……もう、わかっているだろう?俺はお前だ。俺が、お前がそう望めば幻に触れることすらできる」 「っ、」 それは甘美な誘惑だった。変わらない世界。変わらない骸。 「さぁ、選べよ。沢田綱吉」 歪んだ笑顔を浮かべてそいつは俺に手を伸ばした。かさかさと、少し荒れた掌が俺の首を掴む。俺の手だった。首筋を覆われて少し息苦しい。 「あぁ」 選べばこの手は俺を殺してくれるだろう。選べばこの眼に骸を映すことができるだろう。嗚呼、なんというデッドオアラブ。それともデッドアンドラブだろうか。どちらにしても心引かれる甘く優しい選択肢。それでも、 「俺は、――どっちも選ばない」 いつもの通り、胸ポケットから拳銃を取り出すと、俺は躊躇いなく撃った。火薬の音がはじける。 「ごほっ」 男はふらりと揺れた後、後ろに倒れ込んだ。背中を打ち付けるようにして倒れたそいつを、俺は立ったまま見下ろす。唇の端から、一筋流れる血は赤かった。 「……ひとでなし」 「うん、知ってるよ」 俺を見上げて嫌悪に笑いながら言うそいつは、俺の姿をしていたけれど、少しだけ骸に似ている気がした。笑えない話だった。 「本当に、骸は俺なんかのどこが良かったんだろうね?」 疑問の形を取った独り言に、返事など当然なかった。 ***** 眼を深く閉じて、開く。 そうすれば、もう男の姿は病室にない。床を伝っていた血液も消えた。そしてもう、六道骸の姿もない。 その事実に身を引き裂くほどの後悔が俺を襲う。けれど、何度選択肢を与えられても俺は同じ答えを選んだだろう。やり直すとしたら、骸と出逢った頃に戻りたかった。あの時に大人しく骸に負けていたら、今頃どうなっていたのだろうか。 どれだけ考えても答えなどない。もしもを考えるのは楽しいけれど、それだけだ。やはり仮定に意味などなかった。 ただ、俺が此処に居て、骸が此処に居ない。その事実があるだけ。 「ぁ、ああぁあああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……っっ!!」 言葉にならない絶望は、音になって口から溢れた。 ぼろぼろと零れ落ちる涙が俺の頬を、胸を、手を濡らしていく。けれどもう、どれだけ泣いても、何やってるんですかと涙を拭ってくれた人は居ないのだ。 「あ、あぅあああああっ」 愛してる!愛してる!愛してる!そんな想いすら過去形になってしまうことが怖かった。置いてなどいきたくなくても、これから俺は骸を過去に置いていかなければならない。 嗚呼、どんなに縋っても祈っても、六道骸は死んだのだ。 そして、捨てることも選ぶことも出来なかった俺は、今日もこの世界を生きていく。 |