「にゃあ」 ちいさな声が足下で聞こえた。視線を下ろせば、軍からの支給品である青いブーツのそばに小さな赤茶の毛玉が転がっている。 「なんですか?」 微笑んで話しかけると、毛玉は再び「にゃあ」と鳴いた。 「ごはんですか?それとも遊びたいんですか?」 毛玉は問いには答えずに、小首を傾げてジェイドを見上げる。その様子が面白くてクスクスと笑った。 「ほら、おいで」 手の中の本にしおりを挟んで、テーブルに乗せる。そして代わりに空いた両手で毛玉を抱えた。 膝の上にのせると毛玉は居心地をみるように、ジェイドの膝を踏み確かめて、納得したのかくるんと丸くなった。顎の下を撫でてやるとごろごろと嬉しそうに眼を細める。 窓から降り注ぐ陽は柔らかく、時折入る風はほのかに潮と緑の匂いがした。 「いい天気ですねぇ」 ぼんやりと呟けば、独り言のつもりだったそれに「にゃあ」と返事が返った。そのことにジェイドはくすくすと笑う。 ああ、なんて穏やかな午後なのか。 あの死霊使いがこんな風に猫と戯れているなんて、きっと誰も信じられないに違いない。 そういえば、ピオニーにこの子を見せたときも複雑そうな顔をしていた。怒るのに失敗したような、笑うのに失敗したような、そんな顔。ジェイドカーティスと子猫という組み合わせは、そんなにも似合わなかっただろうか。 「今なら、貴方がブウサギを飼う気持ちも分かる気がするんですけどねぇ」 今頃は王宮で仕事をしているはずの幼なじみに話かけるようにそう呟く。 「にゃあ」 甘えるように、赤茶の毛玉が鳴いた。 「はいはい」 優しく砂糖を溶かしたように微笑みながら、ジェイドは猫の毛並みを撫でる。 「ふふ、貴方は良い子ですねぇ、ルーク」 名前を呼ばれた子猫は再び「にゃあ」と鳴いた。その声を聞きながら、ジェイドはそっと目を閉じる。 幸せだった。 ジェイドカーティスの人生でこんなにも穏やかで幸せな時がくるなんて一体誰が予想しただろう。 例え、これが喪失に対する目隠しでしかないのだとしても、ジェイドは確かに幸せだった。 彼の居ない世界で、それでも。 |