あたたかい布団の中でルークは目を覚ました。昨日と同じ目覚めにそっと溜め息をつく。これでもう何度目だろう。 ある日突然、世界は進むのを止めた。 最初は誰も気がつかなかった。当たり前だ。誰が繰り返しなんて信じるだろう。 もともと旅をしてきたから同じ人に会うことも余りない。普通にケセドニアの宿屋で目覚め、買い物をした後、町を発った。異常に気付いたのは、その次の日だった。前日は野営をしたはずなのに、目覚めれば宿の布団の中にいる。慌てて飛び起きれば他のみんなも唖然としている。当然だ。眠るときまでは確かに野外にいたのだ。何者かの、具体的に言えばヴァンたちの陰謀だろうか。その割りに自分達の誰も閉じ込められている様子もないし怪我もない。いぶかしみつつ町に出ても町の人に特に可笑しな点はない。しかしルークたちの目の前で子供が転んだ。昨日も見た光景だった。 世界は俺たちを残して止まっていた。いや、繰りかえしていた。使ったはずの金はさいふに戻り、買ったはずの品は手元から消える。何者かの仕業ではなく、時間が戻っているのだと、確信したのは日記を見たときだった。前日書いたはずのページは消え、空白だった。それまでの日記はそのままなのに関わらず、だ。 何をしても夜が明ければ元どおり、なかった事にされた。不思議なことに時間が戻っていることに気付いているのは俺たちだけのようだった。俺たち以外の人々は今日と信じて、昨日と同じ行動を何の疑問もなくしている。 「と、いうわけなんですけど信じて貰えますか」 ルークの語った突拍子もない話に、どう反応していいか分からずピオニーはとりあえず組んでいた足を解いた。 「あーなんていうか、なかなか信じがたい話だな。本当なのかジェイド」 「残念ながら事実なんですよ。生憎証明する手段はないわけですが」 確認を取ると、ジェイドは肩を竦めてそう言った。いつもと同じ喰えない笑顔だ。 「まあ、お前らがそんな嘘を吐くとも思えないしな。しかし、そうなると俺は何度も同じことを繰りかえしているってことか?」 「そうなりますね。ただその自覚はないので陛下にしてみれば昨日は昨日でしょうし、今日は今日でしょうが」 「そうだな。ふむ、はっきり言えば俺にはまったく自覚もないし、危機感もない。だが、お前らがそう言うんならそうなんだろう。だからお前達に全ての判断を任せる。必要なものがあったら言え。なるべく用意しよう」 「わかりました。・・・・・・信じてくれてありがとうございます」 そういって笑ったルークの顔を見て、俺は自分の判断が正しかったことを知る。正直言うとルークの言ったことを信じたわけではない。どうしたってピオニーにとって今日は今日でしかなかった。ただルークを疑いたくなかった、それだけだ。 「さて・・・」 ちらりと幼馴染に目を向けると口元だけで笑った。その表情に覚えがあって、思わず溜め息が出る。 「・・・・・・ジェイド。聞きたいことがあるから後で俺の部屋に来い」 細められた赤に頭痛がした。いつまでたっても性質の悪い男だ。 「陛―下っなんですか?聞きたいこととは」 おざなりな感じのするノックに返事をすると薄ら笑いを浮かべたジェイドが入ってくる。その笑みに俺は溜め息を吐いた。 「お前、本当は何か知っているんじゃないのか」 「何をですか?」 ふざけるようにジェイドが笑う。それに乗れたらどんなにか良かっただろう。しかし俺は問わなければならない。この男の親友として。 「ルークの言ったこの繰り返しについて、お前は何か知っているんだろう?」 「何故そう思うんです?」 ジェイドがうっそりと目を細めた。空気に微かな殺気が混じる。しかしこんなことで引くようでは死霊使いの親友を名乗ることなどできない。 「お前との付き合いも大概長いからな。だいたいのことは分かるさ」 殺気を無視して俺が笑うと、紅い目が少し見開かれる。そしてジェイドが笑った。もはや殺気は無い。 「それで?もし私が知っていたとしたら貴方はどうするつもりですか」 試すようにジェイドは言う。事実俺は試されているのだろう。人間として、皇帝として、幼馴染として。面白い。試されてやろうじゃないか。俺の答えなどはじめから決まっているのだから。 そして俺は答える。 「何も」 俺の返答にジェイドは眉をよせた。その顔に俺は苦笑する。止められるとでも思っていたのだろうか。 「何もしないさ。お前が何もしないのなら、これがお前の望みなんだろう。それでお前が幸せなら好きにすればいい。お前達の話が本当なら、どうせ明日になれば俺はこのことを忘れているのだろう?ならば黙っていてやるさ」 人間としてなら止めるべきだろう。皇帝としてなら裁かなくてはならない。しかし俺は今この男の幼馴染として此処にいる。この愚かな男の親友として。 「礼は言いませんよ?」 納得できないような。何か言いたげな顔でジェイドが言う。 「ああ、分かってるさ。それでも忘れるなよジェイド、永遠なんて何の価値も無いんだ」 繰り返しの中に俺はいない。その時の中にいたのなら答えは違っていたのだろうか。 それでも、俺はこの現実主義者の男が永遠を望む理由をきっと知っている。 深い紺碧の空に月が昇る。 今日はグランコクマの郊外に宿を取った。全てが寝静まった町は静かだ。中心街ならばこの時間帯でも騒がしいだろうが、住宅地の多いこの辺りでは物音一つしない。 そんな中ジェイドはひとり月を眺めていた。 「眠れないのですか」 後ろに感じた気配に声をかける。すると、石畳を鳴らさないように歩きながらルークがこちらに姿を現した。 「何だ気付いてたのか」 「一応軍人ですからね。気配くらい読めますよ」 月から目を離しルークを迎えた。その姿が思いのほか薄着なことに眉をひそめる。グランコクマは比較的温厚な気候とはいえ、夜になればそれなりに冷える。 「ジェイドは何をしてたんだ?」 その言葉に再び天に目を向ける。微かな欠けもない真円の月が頂に昇ろうとしていた。 「月を」 「月?」 ジェイドにつられる様にルークが空を見上げる。その姿にジェイドは目を細めた。この子は空が似合う。当たり前だ。この空はこの子が作ったのだから。 「ジェイドがお月見なんて意外だな」 「心外ですねぇ。この眼は月を見すぎて赤くなったんですよ?」 そうふざけると呆れるようにルークが笑った。 「でも本当にキレイな月だな」 「でしょう?だから月に願いをかけてたんですよ」 「うわっジェイドが月にお願いとかありえねぇだろ!」 ルークが笑う。笑う。笑う。そして静かに言った。 「・・・・・・願いごとって繰り返しのことについて?」 「ええ、まぁ」 確かにそうであったのでジェイドは頷いた。それがルークの示すものとは違うことなど知っていたけれど。 「何でこんなことになったんだろう・・・」 ルークが悲しげに呟く。その姿に罪悪感を覚えるがもはや止まることなどできない。それでも手を握るとルークの手は温かかった。否、ジェイドの手が冷えているのだろう。 「ジェイドの手、冷たいな」 温めるように握り返された手を愛しく思う。望みなんてそれだけなのだ。 「繰り返すことにも良い点はありますね。こんな風に薄着で月見をしても 明日風邪を引かないか心配する必要がない」 ジェイドがそう言うとルークは笑った。そして消えた。 月が真上で輝いていた。 「永遠なんてない。それでもピオニー、私はあの子が死ぬ明日なら欲しくないんです」 ただ一人残されたジェイドのその言葉は誰に聞かれることなく闇に溶けた。ピオニーはもう今日の言葉を覚えてはいないだろう。ルークはおそらくケセドニアの宿で眠っている。ジェイドだけが此処にいた。狂った時の中でジェイドだけが変わらず時を刻んでいた。 月を仰ぐ。 あの日もジェイドは月を見ていた。止まることのない乖離。文献をあさり、疲れた目で月を見上げた。そして思ったのだ。この月は明日には欠けていくだろう。そしてまた一月後にはこの姿を取り戻す。しかし、あの子がそれを見ることはないのだ。嗚呼、 「明日など永遠に来なければいい」 はじめてジェイド・カーティスは神に祈り、願い、呪った。信じたことのない神を探して月を見つめた。そして望みは叶えられた。もうあの子は欠けていかない。 月がゆっくりと降りはじめた。 あの子が目覚める前に帰らなければいけない。 |