C111 の箱庭


「ただいまぁさんかくぅ」
「またきてしかく。ふふっおかえり姉ちゃん」
いつもの通り赤いカートを引いて帰宅した姉ちゃんを僕は笑って出迎える。
仕事で疲れているのか玄関に倒れこむ姉から僕はカートを取り上げて、代わりに右手を差し出した。
「お疲れ様。ご飯できてるよ」
「まじ!?」
「まじ。今日は餃子だよん」
引き起こしながらそう告げると、ばっと顔を上げる。整えられていない茶色の髪が広がり、その隙間から満面の笑みが見えた。
「よっしゃあ!さっすがよーた!いいこいいこー」
にししと笑った姉ちゃんに頭を抱えるように抱きしめられる。
身長差と、左手を吊っているせいで上手く撫でられないでいる姉のために僕はそっと腰をかがめた。

たった一人の肉親である弟に姉ちゃんはひどく甘い。
世間から隔離されなくてはいけない弟を哀れに思っているのか、それとも離れていた期間を埋めようとしているのか、姉ちゃんは僕に甘く、そしてそのスキン シップは激しい。
思春期の僕はそれを気恥ずかしく思いながらも、仕方なく受け入れる。
「ほら、姉ちゃん。着替えてきてよ。その間に餃子焼いておくから」
「あいあいー」
部屋へ向かう姉ちゃんを見送って、僕は台所に向かう。


姉ちゃんが高校生のころ、僕たちの両親は死んだ。
その事件のせいで僕もまた記憶を失い、引き取られた家でニノマエジュウイチと生きてきた。
姉ちゃんと再会したことで、ようやく僕は当麻陽太としての記憶を取り戻した。
そしてニノマエジュウイチの育て親が死んだのを機に、ニノマエジュウイチは当麻陽太として姉ちゃんに引き取られた。
最近のことである。
特別な才能、SPECを持つせいで実年齢と外見年齢が違ってしまい、当麻陽太としての戸籍を再取得することができないことや、SPECを狙う様々な組織に 狙われる危険から今は姉の家に隠れるように住んでいる。



という設定である。


「別に記憶を操るSPECは地居だけの特権じゃないんだよ」
ニノマエが束ねるSPECホルダーの中にも記憶を司るものは何人かいる。
条件や効果を考えると地居に及ばない奴らだが、条件を整えて複数人で能力を発動させればこうして僕一人姉ちゃんのそばに置くくらい簡単だ。
「姉ちゃんの恋人になろうなんて馬鹿だよね」
姉の心を弄んだあの男のことを考えると死んでいるとはいえ腸が煮えくりかえりそうになる。あの程度の男が姉ちゃんの恋人になろうなんて所詮無理な話なの だ。
だから違和感を持たれて、ばれることになる。
その点僕は違う。僕は最初から姉ちゃんの弟だ。
記憶がなくてもクローンでも僕は確かにニノマエジュウイチで、当麻陽太だ。
何人もの僕らの中から僕が姉ちゃんの弟役になれたことを本当に幸福に思う。
僕の役目はこうして弟として当麻紗綾の監視を行い、彼女の懐に潜り込むことだ。
いつかあの左手が必要になったときに、彼女がおとなしく僕らに協力してくれるように。
他のニノマエが何をしているのか僕は知らないけれど、できれば上手くやってほしいものである。
姉ちゃんには可哀想だけれど、できることならあの左手にはずっと動かないでいてほしいのだ。
だってあの手の下にはあのムカつく地居や海野がいる。
そして何より、あの左手の下には僕のオリジナルがいるかもしれない。
「おー!いいにおーい」
くんくんと鼻を動かして、姉ちゃんが台所に入ってきた。あずき色のジャージを着ている。高校生のころの体操着なのだろう、胸のあたりに当麻と刺繍がある。
相変わらず色気のない格好だ。ちゃんとすれば美人だと思うのに、興味がないのかいつもぼさぼさの髪に同じ色のスーツばかり着ている。
姉ちゃんのそういうところは僕としては安心な部分でもあるのだが、それでも勿体ないと思ってしまう。
「ちょうど焼けたとこだよ」
ぱりぱりに焼けた餃子を皿の上でひっくり返す。きれいな焦げ目に僕は満足して頷いた。冷蔵庫からソースとからし、マヨネーズを取り出す。
「あ、そうそう」
そう声をあげると姉ちゃんはいそいそとカートから何か取り出す。
「じゃじゃーん、いいこな陽太におみやげ!」
「え、なに?ってでか!?」
「プリンだよんよん。たーんとくいなっせ」
やけに大きなケーキ屋の箱を取り出して、姉ちゃんはにししっと笑う。あの大きさでは確実に一人3個はあるのではないだろうか。
「いやいや多いよ!?あからさまに多いよ!?」
「だって陽太プリン好きじゃん」
「いや、あーうん。……ありがとう」
あっけらかんと告げられた言葉に言葉をなくす。それでも小さな声で僕が礼を言うと姉ちゃんは満足げに頷いた。
本当に姉ちゃんは弟に甘いと思う。
だからこそ僕は姉ちゃんの左手が永遠に動かないことを願ってしまう。
まったくひどい弟もいたものだ。
それでも僕はオリジナルにも他のニノマエにもこの場所を譲りたくない。
日本も世界もニノマエもSPECもどうでもいい。
身体も記憶もSPECも全てオリジナルのコピーで、作られた命だ。本当は当麻陽太でもニノマエジュウイチでもないのかもしれない。

「”姉ちゃん、大好き”」

だけど僕は姉ちゃんの弟だ。僕のこの意思だけは僕だけのものだ。
きっとこの瞬間にもどこかでSPECホルダーが生まれてる。
きっと今も僕らの誰かが誰かを殺してる。
そしてファティマ第三の予言の時がきて、きっといつか世界が姉ちゃんをさらっていってしまうのだろう。
すべては回り、流れ、いつか辿り着くまで動きつづける。光を見つけるために。
ニノマエは止まらない。世界も止まらない。きっと姉ちゃんも止まらない。
いつか姉ちゃんはこんな偽物を見破り、真実を見つけてしまうだろう。それは予言よりも確かなことだ。
「もう、ほら!さっさと夕飯食うよ!」
珍しく直接的な弟の言葉に照れたのか、姉ちゃんはくるりと身体を反転させた。そしてガチャガチャと箸と小皿を戸棚から取り出す。
必死に冷静なふりをしているけれど、ゆるりとウェーブする髪から覗くその耳は赤い。
あまりの幸福に僕はそっと目を閉じる。

このまま時間が止まればいいのに。
泣き出しそうな愛に僕は笑った。



当麻姉弟好きです。

novel

2012.4.17