ベクトル
今日この日のために、数週間前から準備を進めてきた。 ネットの自殺志願者を煽って、裏の情報を操って、子供を騙して、大人を唆して、人を貶めるための準備をした。 すべてがこの日に終結するように、人間の気持ちを想像して、人間の動き計算して、俺は今日のこの日を迎えた。 今日、この街でたくさんの人間が死ぬだろう。 自殺で、他殺で、事故で。すべて俺の手のひらの中で、それにも気づかず死ぬだろう。 なんて愚かなんだろう!なんて哀れなんだろう!反吐が出そうだ。 ポケットの中の携帯が震えて、着信があることを知らせる。 震え続ける画面には「岸谷新羅」の文字。俺はその文字ではなく表示された時計に視線をずらした。 ああ、もうこんな時間か。 携帯を閉じて、ポケットに戻す。携帯は震え続ける。俺は出ない。 さてさて、それじゃあ出かけようかな。最後の仕上げをしなきゃいけない。 少し面倒くさいけれど、今日死んでもらうには必要なことだ。 いつものジャケットを羽織って、マンションを出る。波江はいない。昨日のうちに休みを出した。 あれ?なんでだっけ。なんで休みを出したんだろう。 うぅん、まぁいいか。 新宿から山の手に乗って池袋に向かう。道にも駅にも電車の中にも人がたくさんいて。それを目にするたびに苛立ちが募った。学生は未だ春休みで、街は今日も人であふれている。 いやだなぁ。 人ひと人ひと人ひとヒトひとヒト 魚群のように人が流れていた新宿とは違い、ここではより雑多に煩雑に人が、人間がうごめいている。 ああ、いやだなぁ、いやだなぁ、いやだなぁ! 嫌悪感に吐き気すらしてくる気がして、俺はそっとコートの中のナイフを確認した。 行かなきゃ行けないところがあるけれど、気分の悪さに俺は人混みを避けるようにビルの隙間、薄暗いほうへと足を進める。その途中で若い男と肩がぶつかった。 「いてっ」 背後で声をしたが、無視する。肩の衝撃に眉をしかめながらも、俺は路地にもぐりこんだ。 ……はぁ。 周りに人がいなくなって、ようやく息ができる気がした。 なのに。 「ああ?てめぇ何ぶつかっといて無視してやがる!」 肩を捕まれて強引に振り向かされる。さっきの男だ。 「……っ折原!?」 男がこちらを見て、目を見開いた。どうやら俺のことを知っているらしい。俺はこんな男知らない。 「っ」 おびえたように男が肩から手を離し、後ずさりする。 肩に残る体温が不快だった。 一方的に知られているのが不快だった。 ポケットのナイフに手を伸ばし、俺は男をじっと観察する。 「わ、わりぃ。あんただとは気づかなくて・・・」 恐怖にかられた目が不快だった。 うわずった声が不快だった。 ああ、イライラする。 イライラする。 今日、たくさん人が死ぬだろう。女が、男が、大人が、子供が。自殺で、他殺で、事故で。たくさんたくさん、俺のせいで死ぬだろう。 だったら、 だったら、ここでそれが一人増えても変わらないんじゃないだろうか。 ナイフを取り出して、男にその切っ先を向ける。 「ねぇ、死んで?」 向けられた凶器に男が顔を青くした。 「な、なんで・・・」 なんで?なんでってそんなの決まっている。 「人が嫌いだから」 そう答えて、俺は男を殺すために一歩前へと踏み出した。 がしゃんっ 「いぃーざぁーやぁあーくぅうん?池袋に来るなって何度言えばいいんだぁ?」 衝撃に意識が飛ぶ直前に、怒りに震える声を聞いた気がした。 ……不快じゃなかった。 |
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出ない電話に痺れを切らして、新宿のマンションに向かうが留守。 「やっぱり前日から捕獲しておくべきだったかなぁ」 そんな後悔なんてしながら、再度向かったのは池袋。ここにいるという保障は何処にもないが、ここが一番確立が高い。 臨也のためにこうも動くのは面倒だけど、今日ばかりは仕方が無い。 毎年、この日になると折原臨也はおかしくなる。 常を裏返したような行動を取り、人を殺そうと試みる。 臨也にこの日の意識はないらしいのだが、この日が近づくと自分でも分からない行動が増えて困ると話していた。 臨也自身もこの日はなるべく人に会わないように、引きこもろうとしてはいるらしいのだが、当日になってしまえばそんな努力など意味のないものになってしまうようだ。 「まったく本当はセルティと過ごしたいのに。まぁ、毎年のことだけどさ」 とりあえず、サイモンか静雄に聞いてみようかなぁ、なんて思っていた矢先に破壊音。 「お、有卦七年じゃないけど、ついてるなぁ僕ってば」 さっそく出会えそうなようすに、口笛を吹き路地を覗く。 そこには静雄と、臨也と、知らない男。 静雄以外は地面に倒れ伏している。標識がそこに転がっているので、おそらくそれで臨也と男を飛ばしたのだろう。 「ああ、臨也もいる。ほんとに俺はラッキーだ」 そう呟けば、静雄がようやく私の存在に気づいたのだろう。どこか困惑した目で振り返った。 「やぁ、静雄。助かったよ、臨也を探してたんだ。意識を奪ってくれるなんて手間が省けた。せっかくだから、僕の家まで運んでくれると嬉しいな。君にとっては臨也は不倶戴天の輩かも知れないけど。今度治療サービスするよ?」 「あ、ああ」 断られるだろうことを予想しながらも、臨也の宅配を依頼したのだが、よっぽど混乱しているのか頷いた。 「なぁ、ノミ蟲どうかしやがったのか?」 「ん、どうして?」 口は悪くも、心配するような様子に俺はこっそり笑う。まったく、この二人はなんなんだろうなぁ。 「いや、なんか、俺に気づかねぇし、避けねぇし……。それに、俺を見て笑った気がしたんだよ」 「臨也が笑うのはいつものことじゃないか」 折原臨也はよく笑う。いつだって楽しそうに愉しそうに、人を嘲笑う。 「なんか、こういつもと違くて、こう……」 言葉に詰まるように静雄が手をさまよわせる。どうやらよっぽど珍しいものを見たようだ。 「大丈夫、なんでもないよ。春だからちょっとおかしくなっているだけ。明日には元に戻っているよ」 そう言うと、静雄は一瞬だけ安心したような顔をして、それから首をかしげた。 「春だとおかしくなるのか?」 その問いに俺は苦笑する。 「しょうがないさ。臨也は嘘つきだからね」 静雄は不思議そうに再度首を傾げる。僕はそんな彼に臨也を運んでもらうべく、倒れている彼へと足を進めた。きっと臨也は明日には、また「人ラブ!」なんて笑うのだろう。 |
反転