「ねぇ、静雄。君は本当は臨也のことが好きなんじゃないのかな」

 君は気づいてないんだろうけど、そう前置きをして新羅はそう告げたが、それに対して静雄が思ったことは「何を今更」ということだけだった。

 俺がノミ蟲のことを好き?そんなのとっくの昔に知ってるさ。

 ただ、新羅はこの感情を好きと表したが、静雄はこれを恋と、もしくはただの劣情と呼んでいた。好きなんて、そんな言葉で表せるものではない。臨也と喧嘩するとき、静雄はいつだって本気で殺すつもりでやっている。
 抱きしめたいと思う。殺したいと思う。キスしたいと思う。泣かせたいと思う。こんな感情を好きなんて名前で呼んでいいはずがない。
 静雄は幽のことが好きだ。セルティのことが好きだ。トムのことが好きだ。不本意だが新羅のこともまぁ好きだし、門田やサイモンたちのこともまぁまぁ好きだ。
 好きな人が笑っていると嬉しいし、なるべく優しくしたいと思う。だけど、臨也に対しては違う。笑っていればムカつくし、優しくしたいと同時に傷つけたい。

 これは一種の刷り込みではないかと静雄は思っている。
 思春期に静雄の周りに人はいなかった。女どころか男もいなかった。居たのは新羅と門田と臨也だけだった。こと接触に関して言えば、それが暴力という形とはいえ、臨也だけだった。

 臨也だけだったのだ。

 初めて夢を見た朝は絶望した。男という性を呪ったりもした。
 しかし臨也の顔が美しかったのも悪かったのだろう・昼間殴りあう際に目に入る、白い項や青あざのにじむ薄い腹は、夜になれば夢の中で艶かしく再生された。にやにやと馬鹿にするように笑う臨也の腕をひねり、組み敷くまではいい。なのになんでそこで服を剥ぐ!屈辱に歪む臨也の顔に気分がよくなるのは昼間も一緒なのに、夢の中の静雄はそんな彼に口付ける。
 目覚めた瞬間に吐き気がした。それでもまた夜になれば淫らな夢に魘される。そんな絶望の朝を何度も越えて、静雄はとうとう諦めた。
 ああ、俺は臨也に恋をしているのか。
 その性欲を恋と名づけたのは、静雄が純朴である種潔癖な少年だったからだろう。そういう年頃だから仕方ないこととはいえ、理由もなく誰かを汚すのを許せなかったのだ。
 恋と、名づけてしまえば簡単だった。
 臨也にイラつくのも、なのに目が追ってしまうのも、すべて恋で理由がつく。

 まぁそれでも、何が変わるわけでもなかった。
 臨也が自分に嫌悪を抱いているのは分かっていたし、静雄自身も恋心と嫌悪が同居しているような状態だった。だから別にどうなりたいという思いもなかった。
恋を自覚したところで、臨也がムカつくのに変わりなく、殴るのにも抵抗などなかった。
 変化なんて、せいぜい夢に対する嫌悪と罪悪感が減ったくらいだ。かと言って、夢以外で臨也に触れようとは思えなかった。
 関係が壊れるのを恐れたのかもしれないし、単純に未知の世界に怯んだのかもしれない。あとはまぁ、ある程度は暴力で欲を発散できていたというのもある。

 そんなわけで、静雄が臨也に恋を自覚しようが何も変わらなかった。ずっと傍で見ていた新羅ですら気づいていなかったのだから、臨也本人だって気づいていないだろう。
 卒業してからも臨也との関係は何も変わらなかった。見かければ殴りたくなるし、臨也もナイフを向けてくる。ただ、そのころから匂いがするようになった。
 甘い甘い、胸焼けするような匂い。それが臨也からするのだと気づくのにはそう時間はかからなかった。高校時代にはしなかったそれが、なぜするようになったのかは分からなかったが、別に胸焼けがする以外は害もなかったので、別に気に留めることもなかった。
 はじめは近寄れば匂う程度だったそれは、臨也が池袋から新宿に移ると同時に強くなった。今では臨也が池袋に来ていれば大抵気づくことができる。
 壊れるたびに強靭になっていくこの身体を、新羅は進化だと言った。ならばこれもまた進化なのだろうか。失ったものを求めた結果なのだろうか。このまま離れていくのならば、この眼も耳も臨也を探すために変化していくのだろうか。

くんっ
 池袋の雑多な空気に甘い匂いが混じる。
「どうしたんだい?」
 きょろきょろと辺りを見回すと、新羅が不思議そうに首を傾げた。
「ノミ蟲くせぇ」
 匂いがどんどん強くなる。甘い。甘い。眩暈がしそうだ。視線を動かす。人ごみを探す。あの黒い影を探す。
「あ、」
 新羅が驚いたように声をあげた。振り返り、その目線の先を見つめる。遠く何十人もの人間の向こうに黒い裾が翻るのが見えた。
「いいざあああやぁあああああッ」
「ちょっと静雄!」
 近くにあった標識をもぎ取って走り出す。阻んでいたはずの人ごみはぎょっと怯えた様子で、慌てて道を開いた。瞬く間に臨也まで一直線に続く道が出来る。
「げ、シズちゃん」
 道の先でこちらに気づいた臨也が、その無駄に整った顔を歪める。その姿に口が自然に笑みを作るのを自覚した。
「てめぇ、なに池袋に来てるんだぁああっ」
 標識を振り下ろすが、ひらりと臨也は避ける。くそノミ蟲が。
「ははっシズちゃんってばいつもそればっか。他に何か言えない訳?」
 指差すようにナイフを突きつけながら、臨也がそう嘲笑う。その言葉に俺は少し考える。
 臨也への思いを自覚してもう何年にもなる。自覚したところで、俺達の関係は何も変わらなかった。臨也は俺をおちょくり殺そうとするし、俺は臨也をぶん殴る。なんにも変わらなかった。いっそそれは、それならこれは何より強固な関係と言えないだろうか。何をしても変わらないのならば、
「好きだ」
 恋を告げても変わらないなら、愛を告げても変わらないなら、それならもう俺達はそんな形でいいんじゃないだろうか。声と同時に振り下ろした標識は臨也のすぐ横の壁に食い込んだ。避け損ねたのかその白い頬に赤い線が走る。それを見て口が凶悪に笑みを描くのを感じた。
「……へ」
 ノミ蟲が呆然と目を見開く。それが間抜けでさらに笑える。背後で新羅の驚愕する声も聞こえた。
「は、はは、なにそれ。シズちゃんも冗談言えるようになったんだ。でも残念、笑えないな」
 白い顔をさらに白くして、細い眉を歪ませて臨也が俺を嘲笑う。その赤い瞳に嫌悪と拒絶が見えた気がした。その姿に俺もまた笑う。

 ほら、やっぱり何も変わらない。

「当たり前だ。冗談に決まってんだろがっ!いいから手前は黙って死ねよ」
 変わらないその事実がなんだか泣けそうなほど面白くて、俺は顔を歪ませた。そしていつも通り、ノミ蟲を殺すために標識を振りかぶった。








蛇足


「あーもうっびっくりした」
 なんとか静雄をを撒いて逃げ込んだ路地裏にしゃがみ込む。身体能力は一般より遥かに秀でているとはいえ、さすがに静雄に比べたら常識内のものでしかない。彼と追いかけっこをしたあとは息も切れる。
「なんだよ冗談かよ。シズちゃんのくせに変なこと言うとか馬鹿じゃないの」
 いきなりあんなことを言うから、心臓が止まるかと思った。彼の背後に新羅の姿が見えたからあいつに何か唆されたのかもしれない。
 汗を拭うために頬を擦ると、手の甲が赤く染まった。静雄の言動に付いていけずに避けそこなったらしい。今のいままで気づかなかったのはそれほど動揺していたからだろうか。ほんと笑えない。
「……そっか冗談かぁ」
 好きだという言葉を思い出す。本当に冗談でしかない。だってそれは嘘というにはあまりにも明らか過ぎる。
「無駄な期待させやがって、ほんと死ねばいいのに」
 小さく呟いた言葉は池袋が飲み込むだけで、他の誰の耳にも入らなかった。


自覚的非恋愛関係

恋愛アンチテーゼ


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2010/5/9