十羽一唐揚げ

十把一絡


インターホンもノックもなしにドアを開ける。
いつものように鍵のかかっていない扉に俺は顔を顰めた。忌み嫌われていることを自覚しているはずなのに、彼はこんな風にどこか無防備だ。
この扉はもしかしたら俺の為に開かれているんじゃないか、なんて囁く心を俺は押しつぶす。

廊下を抜けてその先の彼がいるだろう部屋に向かう。二つ目のドアを開けると油のにおいがした。
「やぁ、いらっしゃい」
にこにこと誠実そうに軽薄そうに笑う彼の手には、鶏肉が握られている。その前には有名チェーン店のロゴの入った赤と白の箱。
珍しいな。あんまりジャンクフードは好きじゃないと言ってたのに。
「いやぁ、ここのおじさんを見かけたら無性に食べたくなってね。まぁ、見かけたっていうかシズちゃんが投げてきたんだけど」
心を読んだようなその言葉に俺は眉をしかめる。いつものことだがいつまでも慣れない。
「そういえば知ってるかい?この店ってクリスマスのときの売り上げが年間売り上げの半分を占めるらしいよ。一ヶ月にも満たない、せいぜい一週間前後に半分!ははは、本当に日本人ってクリスマスが好きだと思わないかい?いや、クリスマスには鶏っていう固定概念に囚われていると言った方が正しいのかな?」
つらつらと話される言葉を右から左に聞き流す。この人の言葉なんて百害あって十利ありだ。ハイリスクローリターン。リターンがあってもそれ以上にリスクが高すぎる。もっともそれを理解できる人は少ない。この人はリスクを隠すすべにすぐれている。だったらせめて初めから耳に入れない方が賢いと言うものだろう。
「おいおい、そんなところに立っていないで君も食べなよ。君は成長期だしこういう食べ物も好きだろう?」
この人のこういう全部お見通しと言わんばかりの口振りが気に喰わない。
それでも小腹が空いていたこともあって手を伸ばす。
毒の心配などしない。彼が食べていたからということもあるが、ソレ以上にこの人は俺をてずから殺してなどくれないことを知っているからだ。

この人の行為に殺意はない。結果として人が死ぬだけで、彼の目的はそこにはないのだ。
この人が殺そうと思うのなんて、せいぜい平和島静雄くらいだ。

箱のなかにはチキンとビスケットが入っていた。俺はチキンを取り出してかぶりつく。おそらくはまだ一本しか食べていないだろうに、彼はもう飽きてしまったのか、自分は食べもせずににこにこと笑いながら俺の食べる姿を見ている。
「そういえば、また鍵開いてましたよ。ちょっと不用心なんじゃないですか」
なるべく平坦な声でどうでもよさそうにそう告げる。心配してるなんて思われたくない。
「そうだねぇ。でも開いてたからこそ、こうして君みたいな子が来てくれた!」
君みたいな子。ほら、やっぱり期待なんてするもんじゃない。
心から来客を喜んでいる様子の彼を憎々しく思う。
ここに来たのが俺じゃなくても、たとえ彼を殺しにきた人間だって、それが平和島静雄以外の人間ならば彼は歓迎するのだろう。別にそのことに対して思うことなんてないけれど。

テーブルの横にはジャケットが放られていた。鶏肉はデリバリーではなく、彼が買ってきたらしい。
彼のファーの付いたいつものジャケット。今日の俺と同じ、黒い黒い服。
喪服の色だ。
「ねぇ臨也さん、今日俺の友達の葬式だったんですよ」
沙紀繋がりで会った子。少し突拍子もない子だったけれど、笑うとできるえくぼが可愛かった。友達思いで、明るくて、どうしようもなく臨也さんを愛していた。
今日はその子の葬式だった。それを告げると彼はおかしそうに笑った。
「ふふふ、君はあんまり黒スーツは似合わないねぇ。残念だ、高校に行ってたら制服で済んだのに。来良の制服は似合っていたよ?」
まるで噛み合わない会話に俺は舌打ちする。あの子はこんな男のために死んだのか。



「ねぇ、正臣。臨也さんはね、人間が好きなんだって」
明るい子だった。優しい子だった。女の子らしくおしゃれが好きで、勉強が嫌いで、友達がたくさんいた、普通の子。
けれどどうしてか、彼女は俺と二人で話すときはいつも臨也さんのことを口にした。他の人にたいしてはそんなことないのに、沙紀に対してもそんなことないのに、俺にはいつも臨也さん臨也さん臨也さん。
「正臣は臨也さんが泣くところを見たことがある?」
彼女のその問いに俺は顔をしかめた。そんなものあるはずがない。そもそもあの人は泣くのだろうか。血も涙もないような人なのに。
「わたし、臨也さんが泣く姿がみたいなぁ」
彼女はうっとりとそうつぶやく。
「きっとね、わたしが見てないだけで臨也さんはいっぱい泣いていると思うの。だって、あんなに人間を好きなんだもの。その人間が死んだらきっと臨也さんだって悲しいわ」
彼女は高らかにそう言った。俺は首をかしげる。
たしかにあの人は人間をたいそう愛しているけれど、果たしてそんなことで泣くのだろうか。そんなことで泣いていたら、あの人の涙は枯れてしまうんじゃないだろうか。
「ねぇ、正臣。わたしね、臨也さんがわたしの為に泣いてるところが見たいの」
そう口にする彼女の目は愛に歪んでいる。
「わたしが死んだら、臨也さんないてくれるかなぁ」
俺がぎょっと目を見開くと、冗談よと彼女は笑った。そのことにほっと息を吐く。
「変なこと言うなって。だいたい死んだら見れないじゃねーか」
「あ、そういえばそうだね。ふふ、じゃあわたしの代わりに正臣が確認してね。わたしも正臣が死んじゃったら代わりに見てあげるから」
彼女はそう言ってからからと笑った。俺はその言葉を冗談の続きと思って「やなこった」と軽く返す。



それが、彼女と話した最後だった。
二年前の話だ。
そのあと沙紀があんなことになって、彼女からも臨也さんからも離れたから、彼女にあれから何があったのかは分からない。
変わらず臨也さんの信者だったのか。それとも俺のように離れたのか。
どうして彼女が死ななければならなかったのか。
俺は知らない。なにも知らない。
自殺するような性格ではなかったけれど、それも二年前の話だ。二年あれば人は変わる。
何か辛いことがあったのかもしれない。生きているのが嫌になったのかもしれない。それとも何も無かったのかもしれない。
分からない。
けれど俺は思ったのだ。俺は思いだしたのだ。
『ねぇ、臨也さんはわたしが死んだら泣いてくれるかなぁ』
そう言って彼女はあの時、夢見るように微笑んだ。
だから、俺はここにきたのだ。それを確認するために。

臨也さんは相変わらず俺を見て、誠実そうに軽薄そうに笑っている。
「臨也さんは、あの子が死んだ理由を知っていますか?」
「知っているよ」
迷いもなく告げられた答えに俺は驚かない。そういう人だ。
「知りたいかい?」
知りたいなら教えてあげるよ、という言葉に俺は首を振る。
知りたくない。
知る必要もない。
その答えが何であろうと、俺はきっと彼女はこの人のせいで死んだと思うに決まっているからだ。
知りたいのは、俺が知りたいのはそんなことじゃない。
じっとテーブル向こうの彼を見つめる。
じっとその瞳を見つめる。
ああ、はたして俺は彼女になんて伝えればいいのだろう。
彼は泣いたのだろうか。彼は泣かなかったのだろうか。
確認しなければいけないのに、俺には分からない。
分からない。
分からない。
分からない。
だって彼の眼は赤いのだ。
俺はぎゅっと眉間に皺を寄せて、彼から目を逸らす。そして二本目のチキンに手を伸ばした。
「やっぱり、あんたのこと嫌いです」
「ひどいなぁ、俺はこんなにも君の事を愛しているのに」
チキンを口に運び苦々しくそう言えば、まったくひどいなんて思ってない口ぶりで彼は嬉しそうに笑う。
愛しているなんて馬鹿みたいだ。
そんな言葉なんの意味も無い。
彼にとって平和島静雄以外の全てを指す言葉なのに。彼の特別なんて平和島静雄以外にいないのに。
それなのに、そんな言葉をそれでも嬉しく思ってしまう。本当に馬鹿みたいだ、俺。

『ねぇ、臨也さん。俺が死んだらあんたは泣いてくれますか?』
確認してくれる人はもういない。


アニメ未視聴・原作は大分前に読んだきりなので時間軸とかよく分かってません。
某フライドチキン屋さんについてはうろ覚えの知識なので信じちゃ駄目ですよ!

novel

2010.6.24