昔、彼と猫を見た。

 あれはいつだったか。まだ渡伊する前だったから、17かそこらへんだったと思うのだが。
 彼は制服で僕は私服だった。学校帰りだったのだろうか、どういう経緯でそうなったかは覚えていないが、僕らは二人きりで薄暗い路地にいた。ビルとビルの間、日の射し込まないその場所にそれはあった。
 黒い猫だった。暗い路地に溶け込むようにして横たわっていたそれからは、赤茶の血が滲んでいた。血液は既に変色しており、身体は冷たかった。当然呼吸もあるはずがなかった。
 黒い猫は暗い路地の中、たった一人で死んでいた。

「可哀想だね」
「どうやら車にでも轢かれたみたいですね」

 彼は滲む血液に眉を寄せて、それでも悼むようにしゃがみこんで薄汚れた猫の毛を撫でた。猫の後ろ足は潰れていて、血はそこから出たようだった。ちりん、彼が猫の首に鈴を揺らす。

「飼い猫だったのかな」
「そうかもしれませんね」

 正直、死んだ猫になど興味はなかった。無残に死んだその姿に嫌悪もないが、同情や悼む心もない。

「飼い主が居るのにこんなところで一人で死んじゃって、悲しかっただろうね」

 ぽつりと呟かれたその言葉に首を傾げる。

「そうでもないかもしれませんよ。猫は死に際になると姿を消すと言いますから。一人で死ねてせいせいしているかもしれません」

 誰かに見取られることに何の意味があるだろう。所詮全ての生き物は一人で産まれ、一人で死ぬのだ。涙を落とされたところで傷が治るわけではない。そう考えれば、こうして一人で死ぬことのできた猫はいっそ幸福のようにも思える。

「骸は消えるなよ」

 まるで思考を読んだかのような声にどきりとする。振り向けばまっすぐな瞳が僕を射抜いた。ああ、そうか超直感。

「骸が死んだら俺は泣く。一人で死んだらもっと泣く。だから、骸が死ぬときは俺が見送るから、骸はこの猫みたいに消えるなよ」

 何処までも傲慢なその言葉に胸が詰まった。約束なんか出来るはずもない。

「ほほう、君が僕の飼い主とでも言うつもりですか?」
「そ、そんなつもりじゃないって!」

 誤魔化すためにわざと意地悪く言うと、彼は慌てて弁解する。ご主人様とでも呼びましょうか?と茶化すと耳まで赤くなった。

「だいたい、君より僕が先に死ぬかなんて分からないでしょうに」
「う、なんとなく言っただけだよ!なんとなくっ」

 ああ、超直感とは恐ろしい。六道骸は一人で死ぬだろう。寿命でも病死でもなく憎悪と怨嗟の中、臓物を撒き散らして一人惨めに死ぬだろう。これは予感などではなく、確信だ。それだけの業を受けるべきことを僕はしてきた。自業自得、大いに結構!僕はそれを後悔などしない。
 だけど、彼はそれを悲しいと言う。泣くと言う。ならばしょうがないじゃないか。

「猫になんてなりませんよ。僕、犬派ですから」

 いや、そういう問題じゃないだろ!?と叫ぶ彼を見て僕は笑った。まあ、正直なところを言えば、クマが一番好きだったりしたわけだが。




にゃーと鳴く犬


わんと泣く猫





 ところで、あの猫は二人で埋めた。爪に土が入ったことを彼に文句を言った記憶はあるのに、何処に埋めたのかは覚えていない。何処だろうと、とうに土に返っているだろう。

 あれから既に数年の月日が経った。その間に彼は渡伊し、そして消えた。

「自分ばっかり、一人で消えるなんてずるいじゃないですか・・・」

 首に首輪を、指に指輪を、猫は死に際に消え、犬は死人の帰りを待つ。嗚呼、猫は僕ではなく彼のほうだったなんて!犬を選んだ僕はいつまで彼を待てるだろうか。




novel



08/06/01