綺麗な、とても綺麗な月を見た。空はとても青く黒く澄んでいて、白金色の月が煌々と天を照らしていた。 隣りではハルが空を見上げてはしゃいだ声を上げていて、いつもはそれに文句を付ける獄寺君も今日は黙って見惚れたように月を見上げている。極限に美しいな!とお兄さんが叫んで、そうっすねぇと山本が笑う。雲雀さんですら少し離れたところで見上げている。ツキ!アカルイ!キレイ!キレイ!楽しそうにヒバードが歌った。 ああ、なんて平和なんだろう。 (でもこの月をあいつが見ることはないのか) そう思ったら、もう耐えられなかった。 「やめなさい!僕はこんなこと望んでいない!」 あちこちで爆発音がする中、骸が叫んだ。立ちふさがるその奥には大きな水槽がある。 「お前の為じゃない、よ」 そう、これは決してお前のためなんかじゃない。ただの俺の我侭だ。振るわれた槍の先を避ける。足元に吹き上げる業火に一瞬身が竦むが、目を瞑って冷静になればそれは消えた。炎もリングも知らない骸には霧の構築は使えない。ならばこれはすべてただの幻覚だ。 「なら、放っておいてください!僕は貴方に借りを作る覚えはない!」 イラつきをあらわにする骸の後ろには、守るように自身の身体がある。水牢に囚われたその姿を俺は初めて肉眼で見つめた。うん。やっぱり俺はお前に触れたいよ、骸。ことごとく幻覚を破られたことに舌打ちをして、骸は再び体術に切り替えた。三叉槍の穂先が迫る。それをすり抜ける様にして避けると一気に骸の懐にもぐりこむ。骸の瞳が驚きに見開かれた。こんな風に避けられるとは思っていなかったのだろう。彼にしてみればいきなり俺が強くなったようなものだ。あの一月を彼は知らない。知らなくていい。 「ぐ、ぅあっ」 手に浄化の炎を宿し、骸の額に触れた。骸が膝をつき、次の瞬間にはクロームが倒れていた。疲れ切って眠る彼女の髪をそっと撫でて、後ろに声をかける。 「リボーン、クロームをお願い」 「・・・・・・・・・」 返事はない。俺のしていることを、することをリボーンは認めていない。それでもこうして協力してくれた。だってリボーンの仕事は俺をボンゴレのボスにすることだから。 舌打ちと共にリボーンが動く気配がした。ごめんね、心の中だけで思う。 「むくろ」 そっと触れたガラスは冷たい。それがまるで骸の心情を表しているようだと思った。いや、俺がそう思いたいだけだ。骸はやさしい。苦しくなるほどあの骸は俺に優しかった。だから俺はこの手を離さなきゃいけない。 超直感に従って俺は水牢と絡みつくコードを破壊した。ガラスの砕ける音が響く。びっしょりと濡れ細った骸を抱きとめて目を閉じる。薬品の匂いがした。 こうしてこの時代の骸に触れるのはほとんど初めてだ。その肌の冷たさとそれでも奥に息づく熱に、俺は愛おしさと恐ろしさを感じて泣きそうになった。ごめん。ごめんなさい。それでも俺はお前に触れたい。 その夜、俺は骸を抱いた。 抵抗する骸を縛り付けて、その肌に触れた。泣き叫ぶ骸の唇に口づけて塞ぎ、その身に沈んだ。 数え切れないほどの愛と謝罪が口から溢れるのを自分でも止められなかった。どうして、と骸は泣いた。殺してやると、骸は啼いた。それら全てを受けとめて、俺は悦びと絶望に酔っていた。 「愛している」 それだけが骸に告げることのできる唯一の真実だった。 気絶するように眠りについた骸の手に手錠の鍵を握りこませ、俺も隣りで瞼を閉じた。隣りに感じるぬくもりが温かくて、もうそれだけでいいと思った。 月が青かった。 「おい、ツナ」 リボーンに起こされて目覚めると隣りはもう冷たかった。一瞬、全て夢だったのかと思ってしまったけれど、ベットに散った血痕が夢でないことを物語っている。外の月の傾きからいって、数時間眠っていただけらしい。 「骸が逃げた。一応追跡させているがどうする?」 「逃がしていいよ。追跡も戻して」 夢の残滓に呆けながらそう答えると、リボーンの瞳が微かに驚きに見開かれる。よく考えればこの部屋めっちゃ情操教育に悪いなぁ。ほんと今更だけど。 「んんっと」 起き上がって伸びをして、散らばったシャツを拾って羽織る。五体満足で存在できていることに思わず笑みがもれた。起きてから俺を殺す隙はいくらでもあったはずだ。ほら、やっぱり優しい。たんに逃亡を優先しただけかもしれないけど。 「クロームたちにも監視はつけなくていいよ」 「おいっ」 胡乱げに俺を見つめてくるリボーンにそう告げると、怒ったようにリボーンが俺を睨みつけてくる。 「お前は六道骸を手に入れるんじゃなかったのか」 その視線を正面から受けとめて、俺は笑う。 「そうだよ。骸は俺のものだ。だから俺がどうしようと勝手だろう?そうだ。リボーン、復讐者に連絡しといてよ。六道骸に手を出したら潰すって」 物騒な言葉にリボーンが眉を顰める。 「出来ると?」 「出来るだろ?俺はそのためにボンゴレに入ったのだから」 それが六道骸を開放するための対価だった。黒い瞳を試すように試すように挑むように見つめると根負けしたように溜め息を吐いた。 「・・・・・・お前は、それでいいのか?」 呆れたように呟かれた言葉は俺を思ってのものだった。九代目に依頼されたアルコバレーノとしてではなく、ダメツナの家庭教師としての。 「いいんだ。もうこれだけで十分だよ」 未来の世界で骸は死んだ。俺を庇ってのことだった。 優しい人だった。美しい人だった。俺の知っている骸と同一人物と思えないほど優しく笑う人だった。未来の俺は彼を牢獄から出すことも出来ていないのに、それでも俺を好きだと言ってくれた。温かい人だった。 そのぬくもりが腕の中で消えていく様を覚えている。白蘭との戦闘でその身に縛り付けられた魂は身体ごと黄泉路へ向かった。彼の優しさが俺への想いが六道骸を殺してしまった。 だから、この時代に戻って誓ったのだ。骸をボンゴレに関わらせないと。骸に関わらないと。そう誓った。 だけど俺は骸に会いたかった。骸に触れたかった。 「これで骸は俺を憎んでくれる。俺を庇おうなんて思わないだろ」 一度だけ、そう心に決めて触れた。温かかった。生きていた。骸の開放を条件に俺はボンゴレ十代目を受け入れる。俺は二度と骸に会わない。ボンゴレは二度と骸に関わらない。これできっと骸は骸の人生を生きていける。いや、これも言い訳かもしれない。 「それに、今はきっと同じ月を見ている」 それだけで十分だ。そう言って微笑むとリボーンは痛ましげに顔を伏せた。同じ月を見ている。そう思うだけで生きていける。本当はそれだけ。ただの俺のエゴだ。 |