最近、骸が俺の部屋に入り浸っている。 ドアを開ければソファに腰掛けて本を読んでいるのが見えた。ふわりと紅茶の香りが鼻をくすぐる。お茶しながら読書とか良いご身分だな、このやろう。 「おかえりなさい」 「ただいま」 俺が近づくと、本に栞を挟んで顔を上げた。その頬にキスを落として俺も隣に座る。 「あー、つかれた」 テーブルの上のティーカップを掴んであおる。 「ぬるい」 「ちょっと、人の飲まないでくださいよ」 「ぬーるーいー」 「……はぁ、まったく仕方がないですね。淹れ直すので待っていてください」 わざとらしく溜息を吐いて骸が立ち上がる。そしてわざわざ俺の足をまたいで行った。後ろからまわればいいのに、変な奴。 キッチンに向かう骸の背でひとつにまとめられた髪が猫の尾のように揺れた。 「わるいなー」 ひらひらと手を振って送り出す。 腐ってもドンボンゴレの私室なので、ある程度のものは揃っている。寝室、浴室、トイレは勿論のこと、キッチンや書斎、シアタールームまである。あとは用途の決まっていない部屋がいくつか。一日のほとんどは執務室の方にいることが多いのだから、正直こんな立派な部屋はいらないのだが、まぁそういう訳にもいかないらしい。組織の上に立つ人間というのはある程度の贅沢が義務なのだとリボーンに言われた。 キッチンに消えた骸を待つ間、手持ち無沙汰に骸の呼んでいた本を手に取ってみる。しおりは真ん中より少し後ろのほうに挟まっている。 はてさて、これは今日何冊めの本なのだろう。 骸は最近俺の部屋に入り浸って本ばかり読んでいる。 そんなに退屈なら出かければいいのに。ヒッキーめ。 俺が部屋にいない間は寝るか本を読むかという生活をしているらしく、その読書スピードはとても速い。分厚い本を一日数冊も、俺からすれば信じられないレベルで読む。 この間30冊くらい仕入れてもらったけど、また追加が必要かもしれない。 ……まぁ、甘い自覚はある。本当に入り浸られて困っているなら、本を用意したりしなきゃいいんだ。 「お待たせしました」 戻ってきた骸が俺の前に繊細な模様の入ったティーカップを置いた。そして自分はぐるりと回り込んでからソファに座る。まっすぐくればいいのに変なの。それでもそんなことはふわりと湯気とともに漂う香りにどうでもよくなった。華やかな香りに思わず頬がほころぶ。 「ありがと」 熱いそれに息を吹きかけて飲むと、苦みとほのかな甘みが口に広がった。良い紅茶使っているな。下手すると来客用のより良いんじゃないか。 「はぁー、落ち着く」 「それはなによりですね」 骸も両手でティーカップを持って、ふーふーとしつこいくらい息を吹きかけている。本人は気づかれていないつもりかもしれないが、実は結構猫舌なのを俺は知っていた。 「それ……」 「うん?」 骸は俺の持つ本に目をやった。 「もうすぐ読み終わりそうなので、そろそろ新しいのを持ってきてください」 「はいはい、了解」 「あと、チョコが少なくなってきたのでそれも」 「もうわがままだなぁ」 俺がそう笑うと骸もまた笑った。困ったように微笑んだ。 なんだよその、俺の方が我侭だろうと言わんばかりの顔は。俺は別に我侭なんかじゃない。今だって、こうして俺の部屋に入り浸っているお前の我侭をきいてやってるじゃないか。 「あとはクロームたちに、大丈夫だから心配しないようにと伝えてください」 「ん?なんかあったの?」 わざわざそんな伝言を頼むなんて、何かあったのだろうか。 首を傾げて訪ねると、骸はやはり困ったように微笑んだ。困ったように悲しそうに愛しそうに。 「なにもありませんよ」 「そう?」 気になったけれど骸が言いたくないのなら、わざわざ問いつめるのも憚られて、俺は話をそらせた。 「そういえばこの本って日本の小説なんだね。おもしろい?」 今日骸が読んでいたのは日本の小説だった。骸は結構雑食だ。イタリア建築の本を読んでいたかと思えば、英語の料理本を読んでいたり、ドイツ語の医学書が転がっていたりする。 とりあえず暇をつぶせればなんでもいいらしい。専門書やら外国語で書かれた本なんて俺には読める気がしないが、日本の小説ならどうにか俺でも楽しめるかもしれない。まぁ、まず読む時間がないけど。 「まぁまぁ面白いですよ。まだ途中ですけど」 「へぇ、どんな話?」 俺が訪ねるとなぜか骸は少し言いよどんだ。どうしたんだろう。 「誘拐犯の男と、彼に誘拐された少女の話です」 「へぇ」 「綱吉君は、どうですか?もし綱吉君が誘拐されたとして、その犯人を許せますか?」 骸がそっと目を伏せて訪ねた。長いまつげが白い頬に陰を作る。 「んー、わかんないけど。できれば許したいな」 「……あなたらしいですね」 そう告げると骸は傷ついたように笑った。やっぱり何かあったのだろうか。 「骸は?骸は許す?」 「僕は……」 骸がそっと目を伏せる。赤と青の瞳が瞼に沈む。 「僕はきっと許せない」 再び目を開いた骸は、俺をみつめてはっきりとそう言った。怒りと悲しみと諦観と愛、そんなものを混ぜこんだような瞳はそれでも奇跡のように澄んでいる。 「ねぇ、むくろ」 「なんでしょう」 呼びかけると骸は少しこわばった微笑みで答えた。 「読み終わったらどんな話だったか教えてね」 そう言って俺は骸に本を渡した。 「ええ、わかりました」 受け取る骸はどこか拍子抜けしたような、失望したような様子だった。どうしたんだろう。 「綱吉君は本は読まないんですか?」 「うーん、読みたいような気がしなくもなくもないんだけどねー」 「なんですかそれ」 俺の表現に骸がくすくすと笑う。ひどいなぁ、俺の感情を的確に表しているのに。読書は嫌いだったけど、こう離れてしまうとちょっとしたいような気がしなくもないのだ。 「そもそも俺読むの遅いし、時間がとれないんだよなー」 「おや、忙しいんですか?」 骸が慰めるように俺の髪をなでる。低い体温が心地よい。 「めっちゃ忙しいよ。利ボーンは相変わらずスパルタだし」 髪をなでる骸の手を取って指先に口づけた。そしてそのまま手を引けば、抵抗なく倒れてくる。 「それはそれはお疲れさまです」 「そんなこと言うなら手伝ってよ」 ここのところ骸は俺の部屋に引きこもっていて、ろくに仕事をしていないのだ。 まぁもともと表向きの仕事の多くはクロームがこなしていたから、問題はないっちゃないんだけど。 骸はなぜか自分の足首を見つめながら、「じゃあ、持ってきてくださいよ。暇なんです」と苦笑した。 俺もつられて骸の足を見るけれど、別段変わったところはない。いつもどおりの白い足首があるだけだ。 「退屈なら俺の部屋に入り浸るのやめろよなぁ」 俺が呆れてそう言うと、躯は俺を見て諦めたように笑った。 「変なことを言うんですね。閉じこめているのは貴方なのに」 「お前こそ何言ってんの。人聞きの悪いこと言うなよ」 確かに出かけるときは鍵を閉めているけれど、それは防犯的な意味だし、内側から開けられるものだ。それに骸にも鍵を渡してある。 閉じこめているなんてそんなことないのに。変な骸。 |
この闇と光
喉が渇いて目を覚ました。 なんだか重いと思ったら、胸の上に綱吉の腕が乗っている。起こさないようにそれをそっと退けて僕はベッドを抜け出した。シーツだけを身につけて歩く。 柔らかい絨毯はぺたぺたなどという音は立てない。代わりにチャリンチャリンと鈴のような金属音。 備え付けられたキッチンの冷蔵庫から水を取り出して、グラスに注ぐとほのかにレモンの香りが鼻をかすめる。ぐっとあおれば冷えた水が酷使された喉に染み渡った。 水を仕舞うと来たときと同じルートで寝室に戻る。違う道を通ると絡んでやっかいなのだ。 途中、ふと思い立って扉に近づいてみる。 この部屋の外に繋がる扉だ。細やかな彫刻の施された木はその質の良さを表すようにつるりと飴色に光っている。同じく繊細な模様の施されたドアノブには内側から開けるタイプの鍵がついている。僕は呼ばれるように扉に近づいて、その1メートルほど手前で止まった。 これ以上は進めない。 くるりと扉に背を向けて僕は改めて寝室へと足を進めた。 寝室に入ると、中央に置かれた巨大なベッドで綱吉が眠っているのが見えた。先ほどと変わらずに熟睡している。やはり疲れているのだろう。 「まったく、こんなに散らかして」 ベッドの周囲にまき散らされた衣服を苦笑しながら広い集める。シャツ、ベルト、靴下、パンツ。綱吉と自分のものが入り乱れて落ちている。 「ん?」 ジャケットを拾うと奇妙に重い。ポケットに何か入っているようだ。 内ポケットを漁ってみると出てきたのは携帯電話だった。綱吉のものだろう。普段この部屋に携帯を持ち込んだりしないのに珍しい。一人一台が当たり前になったそれを久しぶりに見た気がする。僕の携帯は折られてしまった。 そもそもこの部屋には電子機器が驚くほど少ない。電子レンジや冷蔵庫、掃除機などの白物家電はあるけれど、電話やパソコンは存在しない。ああ、でもテレビとゲーム機はあるか。 手の中の携帯電話をじっと見つめる。 「むくろ、何してるの?」 声に顔を上げれば、いつのまにか起きた綱吉が微笑んでいた。悠然とした微笑みの中、瞳だけが焦燥に揺れている。 「だめ。だめだよ、むくろ」 綱吉はどこか幼い口調でそう言うと、僕の手から携帯を取り上げて、ばきりと折った。折れ目から導線がいくつか飛び出しているのを見て僕は顔をしかめる。 ずいぶんともったいないことをする。おそらくバックアップは取っているのだろうが、それでも壊すことないだろうに。 「むくろ」 恐怖と呆れと哀れみが入り交じり、どんな表情をしていいか迷っている僕を、にっこりと満面の笑みを浮かべた綱吉が抱きしめる。引き寄せられた拍子に鎖がチャリンと鳴った。僕は思わず音の方に目を向けたけれど、綱吉はまっすぐに僕を見ていた。 「ねぇ、今度どこかに行こうか。ふたりっきりでどっか行っちゃおうか」 幸せそうに楽しそうにそう話す綱吉に抱きしめられながら、僕はなんだか泣きそうだった。 チャリンチャリンと歌う鎖は僕の足首とベッドを繋いでいる。 「どこにも行きませんよ」 どこにも行きませんよ。どこにも行けませんよ。 それが貴方の望みでしょう? 「えー、行こうよ。お前、俺をこの部屋に閉じこめておくつもり?俺はお前と違ってひきこもりじゃないんだよ」 まるで子供のように頬を膨らます綱吉は見えていない。覚えていない。僕を縛り付けるこの鎖も、鎖をつけた自分のことも。 「閉じこめたりしませんよ。閉じこめているのは貴方のほうでしょう」 「何言っているのさ。変なむくろ」 綱吉が笑って僕を抱きしめる。 ほら、やっぱり。僕の言葉は届かない。 チャリンチャリンと鎖がわらった。 |