薬指に愛



「いらっしゃいませ」

 慣れた口調で、それでも丁寧にそう告げて頭を下げる。自動ドアが開いた瞬間にそれを行うのはもはや習慣で、だから相手の顔なんて目に入っていなかった。
 頭を上げた瞬間に目に入ったのはティーシャツとジーンズ。それにまず「おや?」と思う。うちの店はそれなりに高級なジュエリー店で、お客様の装いとしては基本スーツが多いからだ。たまに気軽な装いで来られる方もいらっしゃるが、それでも有名ブランドだったり常連のお客様だったりだ。
 だが今いるお客様はそのどちらにも当てはまらない。ようやく少年から青年に移るといった雰囲気の男の子。緊張しているのか強張った顔をしている。まだ学生だろうか。そんな彼の後ろからひょっこり現れたのは、彼と同じ年頃の女の子だ。黒い眼帯が強烈だが、それが気にならないほどの美少女。
 可愛らしいカップルの来店に私は思わず頬が緩むのを感じた。若い彼らがそれほど根の張るものを買うとは考えにくいので売り上げ的には有難い客というわけではないが、背伸びをして指輪をみる彼らはとても微笑ましい。此処にくるのは幸せな恋人ばかり。まぁ、たまに風俗嬢とその客も来るけど。そして私はそんな幸せな人たちを見たくてこの仕事をしている。だから可愛らしく幸せそうな彼らは少なくとも私にとっては上客だった。
 頭の中で比較的低価格で可愛らしい商品をピックアップしながら、私は彼らを見守ることにする。距離を保ちながらも、何か聞かれたらすぐに対応できるように。



 男の子が店内のショーケースを覗き、女の子がそれに付き添うように付いて歩く。店内をぐるりと見渡して、彼はプラチナの指輪を展示しているコーナーに進んだ。ああ、そこは結構高いのに。内心焦るがもちろん表情には出さない。

「プラチナにするの?」

 抑揚の少ない声で彼女が尋ねる。表情の乏しい顔が手伝ってどこかミステリアスで幼い印象だ。

「うん、似合うと思って」

 照れたように少年が笑う。照れながらもはっきりとそう言う姿は好感が持てた。可愛い・綺麗・似合う、そういう風に女性の外見を素直に褒めることの出来る男は個人的に得点が高い。

「それに京子ちゃんのもプラチナだったし」
「そうね」

 最近友人が指輪を貰ったのだろうか。それで彼らも店に来たのかもしれない。

「やっぱりダイヤモンドかなぁ」

 少年の言葉に私も心の中で頷いた。やっぱり恋人同士が付けるならダイヤモンドでしょう。定番と言えば定番だが永遠の愛を誓うに相応しい石だ。

「――は、あんまりダイヤモンドは好きじゃないわ」

 前半部分は上手く聞き取れなかったが、彼女は間違いなくそう言った。あら珍しい。女の子はやっぱりダイヤの指輪に憧れるものだと思っていたのだけれど。

「だって――は、永遠なんて望んでないもの」

 少女の言葉に男の子は悲しげに顔を伏せた。それはそうだろう。永遠の愛を要らないと拒まれたら私だって泣きたくなる。

「――は永遠なんかじゃなくて、限りある時間の中で愛せることが嬉しいのよ」

 その言葉に私は胸が熱くなるのを感じた。永遠の愛、永遠の愛、私は特に深く考えもせずにそんなものを売ってきた。もちろん永遠に価値がないとは思わない。きっと変わらないものには変わらないだけの価値がある。だけど、限りある時の中で愛する喜びを語った彼女はとても強く美しいと思った。
 少女の言葉に少年は照れたように微笑むと、じゃあ何がいいと思う?と彼女に尋ねた。ショーケースの中の指輪はダイヤモンドが主だが、他にもサファイアやルビー、ガーネット、トパーズなど様々だ。

「サファイアも似合いそうだよね」

 確かに少女のミステリアスな雰囲気にサファイアのブルーは似合うだろう。

「ありきたりだけどルビーもいいなぁ」

 なんとなく青いイメージのある少女だから少しルビーは強いように私は感じたが、逆にそれがいいかもしれない。個人的には彼女にはアクアマリンあたりがいいんじゃないだろうか。高いけど。紫も似合いそうなので、アメジストもいいかもしれない。アメジストならある程度価格も抑えられるし。普段使いもしやすい。

「トパーズがいいんじゃないかしら」
「トパーズって?」

 少年が首を傾げる。トパーズがどんな石なのか知らないらしい。まぁダイヤやサファイアに比べると知名度の低い石だから無理もない。だけど宝石に詳しい私だって内心首を傾げていた。なんでトパーズ?
 トパーズはよく黄色や琥珀色を連想されがちだ。けれど他の宝石にも言えることだが、実は青やピンクなど様々な色のものがある。だけど少女が宝石に詳しくない限り、ここで示しているのは黄色系のものだろう。別に私だってトパーズは結構好きだが、若い彼らの指輪としては少し地味すぎじゃないだろうか。

「これ」

 少女が指差した商品に少年の眉が寄った。確かあそこに展示してあるトパーズは黄色系だったと記憶を手繰る。シンプルなプラチナの環に埋め込み式で琥珀色のインペリアルトパーズを入れてある。表面に出っ張りのなくて地味だが、常に身に付けやすい。最近人気の出てきたデザインだ。……だが。

「ちょっと、……地味じゃない?」

 そう、地味だ。サファイアやルビーだとシンプルだが華やかだし、ダイヤモンドなら高級感がある。だが、どうしても琥珀色のトパーズだと地味な印象になってしまう。

「でも、これがいいと思うの」
「どうして?」

 少年が首を傾げる。私も是非聞いてみたい。確かに少女は派手好みではなさそうだが、いくらなんでも地味すぎる。どうしてあえてこれを選んだのだろう。

「ボスの色だから」

 そう言って少女は少年の瞳を指差した。少年がただでさえ大きな瞳をさらに見開く。ボスと言うのは少年のあだ名だろうか。言い慣れているのだろう。変わったあだ名も少女が口にすると違和感はなく、ただ可愛らしい印象だ。そして恋人の目の色だからと、指輪を選ぶ少女はやはりとても美しかった。最近では珍しいほどの心の綺麗な子だ。こんな子が恋人なんて少年が羨ましくなってしまう。

「――は、喜んでくれるかな」
「うん、もちろん」

 不安げに指輪に目を落とした彼に少女が優しく微笑む。花の綻ぶような笑顔だった。



「すいません、これペアリングでお願いします」

 しばらく悩む様子を見せた後、少年はトパーズの指輪を示してそう言った。こちらを向いたことによって、私は初めてはっきりと少年の顔を見ることができた。幼い印象を与える大きな目は、少女の言うとおり澄んだ琥珀の色をしていた。まるで蝋燭の炎のように優しい茶褐色。地味だが美しい炎の煌きを秘めたトパーズの指輪は、なるほど彼に良く似ていた。

「かしこまりました。サイズはお測りになりますか?」
「いえ、確認してきたので大丈夫です」

 指輪を確認し二人を椅子に案内する。サイズ見本を出そうとしたが首を振られたので、代わりに発注の書類を取り出す。サイズによっては一週間ほど掛かることを伝え、了承を得ることが出来たので少年にその書類を手渡した。書類には連絡先と指輪のサイズ、それと裏に刻む文字を記すことになっている。

「あ、文字彫れるんですね」
「はい、アルファベットと数字のみになりますが」

 そう言うと少年は少し悩んだ後、アルファベットを書いた。書き終えた書類を受け取ると、会計の手続きをするために私は少し席を立つ。

「今日はありがとう。やっぱりクロームに見て貰ってよかった」
「ううん、ボスたちの役に立てるのは私も嬉しいから……」

 背後から聞こえてくる会話に「おや?」と思う。どうやら私は勘違いしていたらしい。少女は少年の恋人ではなく、単に指輪を見立てるための付き添いだったようだ。ということはこの指輪は少女ではなく、別の誰かの指に嵌められるためのものだったらしい。少年も少女もただ、その誰かを想って指輪を選んでいた。何処の誰かは知らないが、こんなふうに想ってもらえるなんてその人は幸せものだ。



 会計を終えて、店を立ち去る二人を見つめながら私はなんだか満ち足りた気持ちだった。勘違いもあったが、本当に気持ちのいいお客様だったと思う。
 充実感に浸りながら、発注のために私はもう一度書類を確認する。そして心の中では何度目かの、実際するのは今日最初の動作を行った。つまり首を傾げた。
 書類には連絡先と、刻む文字、指輪のサイズが書いてある。しかしそのサイズがおかしかった。職業柄、指を見ればある程度そのサイズは予想できる。『T』と刻む予定の指輪はおそらく少年のものだ。つまりは『M』の指輪は彼の恋人のものになるはずである。

「えぇぇ?」


『M』の指輪のサイズは明らかに男物のサイズだった。つまりはそういうことだろうか。


novel


2009.11.22