其処は白い空間だった。 地面はつるつるしているが光らない素材で、当然のように白い。というか其処を白い空間たらしめているのはその床の色だ。 その白は果てることなく続いている。これを地と呼んでいいのなら俺は初めて地平線を見たのだろう。 「あんまし水平線と変わらないなぁ」 思わずそう漏らすが白い地平線は何処までも白く在るだけだ。白いのがまずいのかもしれない。きっと本物の大地なら感動するのだろう。まあ、見る機会はもうないだろうけど。 上を向けば青い、青い空があった。絵の具で塗ったような混じりけのない青。空は地面と触れ合うことは無く、天井のように在るだけで地平線は上も下も白いばかりだ。一本の線だけが天と地を分けている。 真っ白な世界に真っ青な空。 無機質で綺麗でまるで出来の悪いらくがきのような場所。 「ん〜っ」 ぐぐっと伸びをして、何とはなしに歩いてみる。ぺたぺたと音がしてちょっと楽しい。裸足で歩くのなんて本当に久しぶりだ。やっぱり自室は雲雀さんを見習って和式にすべきだったかもしれない。 ぺたぺたぺたぺた。 何処まで行っても果てはなく、何処まで行っても何もない。果てなく広いのにも関わらず、窓の無い部屋に居るような息苦しさがある。 しかしそんなことは気にも留めずに綱吉は歩く。ゆっくりと、まるで散歩のようにのびのびと。そこに知らない場所に一人いる不安は欠片も見られない。 だって綱吉は知っている。 「久しぶりにゆっくりするのもいいなぁ」 一人ではないことを。 「なぁ?骸」 足を止め、振り返るとそこに一人の男が居た。光とともにとか、霧とともにとかそういう風に現れるわけでもなく、まるで初めからそこに在ったかのように男は其処に居た。 「最近は特に忙しかったですから」 眉を下げるようにして男が、骸が微笑む。らしくない表情だ。似合う似合わないはともかく、自信満々にあの変な声をあげて笑うのが骸らしいと綱吉は思う。 「Tシャツとか久しぶりに着たよ。やっぱり楽でいいや」 ぱたぱたと裾を掴んではためかして綱吉は笑った。 「この格好ってお前の仕業?」 そう尋ねてみると骸は首を横に振った。なんだ、そうなら誉めてやろうかと思ったのに。そういえば綱吉がTシャツ、ジーパンなのと対照的に、骸は真っ黒いスーツをかっちり着ている。それが案外似合っていていつもちゃんと着ればいいのにと思った。Tシャツネクタイなんかじゃなくて。ところで喪服が似合うというのはプラスなのかマイナスなのか。 そんなことを考えているとくしゃりと骸が笑った。 「君は本当にいつまでも変わらないんですね」 それは格好に対してなのか思考に対してなのか、そもそも誉められているのか貶されているのか。分からなかったがとりあえず骸が笑っているので綱吉もへらりと笑う。さっきの笑みも今の笑みもらしくないことはらしくなかったが、さっきのと違い今のはそう悪くもない。 「此処が何処なのか聞かないんですか?」 そっと何かを耐えるように目を伏せて骸が尋ねた。 「んー、想像付かなくもないし、知ったからってなぁ」 いまさら。その言葉を飲み込んでへらりと笑う。別に綱吉自身はそんなこともう気にしちゃいない。口にしなかったのは言えば骸が泣いてしまいそうな気がしたからだ。 「此処は黄泉路の手前。輪廻の直前。門へ向かう貴方の魂を僕が捉まえてここに連れて来たんです」 伏せた目をさらにぎゅっと瞑り、骸が告げる。それがまるで叱られることに怯える子供のようで思わず微笑ましくなってしまう。 「ここは骸が作ったの?」 黄泉路、輪廻、それらの単語をすっ飛ばしてそう聞くと、骸は驚いたのか目を丸くしてぎこちなく頷いた。 「あんまりいつもの骸っぽさがないところだね」 普段骸が作り出すものは過剰なほどに繊細で優美だ。やわらかく光るように咲く蓮の花も、全てを燃やし尽くすような業火も、リアルを追求するという目的を超えるほどに細やかに生み出す。だけどこの空間にはそれがない。 「たぶん、焦っていたからだと・・・・・・」 言い訳するように骸が言う。焦っていたから。骸はそう言ったけれど、それは深層心理ではないだろうか。 子供のらくがきのような空間。白い世界に、青い青い空。 ああ、なんてふさわしい。きっとここはそのための場所。 大丈夫、骸も本当は分かってる。 安心してふっと息を吐きもたれかかる。何もなかったはずの空間には扉が一つ出来ていた。骸は突然現れたそれを見て目を見開き、顔を白くする。だけど俺はそれがあることを知っていた。この場所を作ったのは骸だけれど、ここでの主導権は綱吉にある。だからこそこの扉は綱吉の意思に沿って現れた。そっと扉にもたれかかって、引き戸で良かったなんて思う。押し戸だったら引っくり返っていたかもしれない。 「あ、・・・・・・」 扉に怯えたかのように、骸の声は震えている。 「いかないで・・・・・・。いかないでくださいっ」 引き絞るように骸が叫んだ。顔色は蒼白で、いっそ綱吉より骸のほうがそれらしいくらいだ。 「此処に居てください。ずっと此処にいましょう?ずっと一緒に・・・・・・」 言葉が途中で途切れる。顔を歪め、嗚咽を漏らす骸の頭を綱吉はそっと撫でた。 「骸、お前にこんなことをいうのも変な気分だけどさ、ずっと会えないわけじゃないんだよ。ただ、遠いだけ」 遠い遠い。声も届かぬ、鳥も通わぬ、この空の果て。 そっと骸の頭を撫でる。このおかしな髪をこんな風に撫でるのは初めてだった。いつもはもっと雑に分け目を崩すように掻き撫でていた。そのたびに子供のように文句を言う骸が好きだった。優しくて残酷で寂しい骸が大好きだった。 未練を断つように指を手を身体を離す。 「言伝はありますか」 その言葉に少し迷い、結局首を横に振った。 どうなったかなんて聞かない。 伝える言葉もない。 だってもう俺は終わっている。 俺の返事に少し残念がるそぶりを見せた後、骸は微笑った。 目じりは赤いし、頬はべとべとだし、今にも泣きだしそうな笑い方だったけど、 「貴方と逢えたことは僕の人生で一番の僥倖でした」 今まで見た中で一番綺麗な笑顔だった。 最果ての地へ ドアノブに手をかけ扉を開く。そこでふと思いついて振り向いた。 「ねえ、骸」 「は、はい」 振り向いた俺にびっくりした骸がどもる。 「此処はきれいだけどさ。ちょっとシンプル過ぎるよ」 そう言って手の中のものを投げた。一輪の赤い花が弧を描いて骸の手の中に落ちる。それを見届けて俺は扉を閉じた。 扉が閉じるその最後の瞬間、 * 俺が見たのは鮮やかな鮮やかな赤い世界。 * * * * * |
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「サヨナラ」