「む・く・ろくーん!」

 後ろから飛びつかれたせいで、うっかり花瓶の水がかかりそうになった。

「ちょっと白蘭!いきなり何するんですか!?」
「あははごめーん。ただいまー」

 にこにこと笑いながらまったく悪びれた様子もなく言う白蘭に思わず溜め息を吐く。

「骸くーん、ただいま?」
「はいはい、おかえりなさい」

 後ろから骸の首に腕を巻きつけられる。おんぶおばけ状態の白蘭を引きずって、とりあえず花瓶を一度デスクに置いた。

「ぶー骸くんってば冷たーい。あっこれが噂のジャポーネのつんでれ!?ねぇねぇ正ちゃんどう思う?」

 正ちゃん?白蘭を背に貼り付けたまま振り返ると、入江正一が入り口付近で凍り付いていた。

「あれ、入江君こっちに来てたんですか。実際に会うのは結構久しぶりですね」
「六道・・・?」

 何か信じられないものでも見るように、正一は骸を見つめてくる。

「はい?あ、いまお茶入れますね。座っててください」

 首に絡みついた白蘭の腕を引き離して、ソファを示す。

「あ、僕紅茶ねー!」
「はいはい。入江君も紅茶でいいですか?緑茶、コーヒー、ジュース各種ありますよ」
「あ、ああ」

 引き剥がされるなり、ぼすんとソファーに座り込んで白蘭が手を上げる。それに適当に頷いて、正一にも尋ねる。すると正一は戸惑ったような態度で頷いた。

「じゃあ紅茶入れてきます」

 いつもと様子の違う正一をとりあえず白蘭に任せ、隣に設置されている給湯室へ向かう。しかし、やけに動揺していたようだったが、何かあったのだろうか。そんなことを考えながらやかんに水を入れて火にかける。お湯が沸くのを待つ間に、ポットやカップ等を用意した。茶葉はどうしよう。セイロン、アッサム、ダージリン、アップルティーも捨てがたい。そういえば、白蘭がこの間のアールグレイを気に入ったようだったからそれにしようか。確かお茶菓子も白蘭のおみやげのチョコチップクッキーがまだあったはずだ。やかんが甲高い音で鳴いたところで一度カップに湯を注ぐ。半分ほど注いだところで、再びやかんを火にかける。今度は蓋は外したままだ。こうすることで水の中の余分な空気が抜けて美味しくなるらしい。もっとも本当かどうかは分からないけれど。空のポットに湯を注ぐのはポットを温めるためだ。もちろんそのためにやかんにはあらかじめカップ7杯程度の水を入れておいた。一分ほど待ってから、ポットの湯をカップに移す。空になったポットには茶葉をスプーンで4杯入れて、コンロから下ろした湯を注いで蓋をする。

「こんなもんですかね」

 勘と経験でキッチンタイマーをセットしてから一息つく。ついでとばかりに用意したクッキーをぱくり。もぐもぐと咀嚼しながら、そういえば怪我をしてからというもの白蘭以外の人間とほとんど会っていなかったことを思い出した。ならば先程正一が驚いていたのはこの包帯のせいかもしれない。

「まったく白蘭も過保護なんですから」

 そっと右目に巻かれた包帯に触れる。顔の3分の1程を覆うそれは確かに他人から見れば驚くようなものだろう。骸としてはもう痛みもほとんどないし、外してしまいたいのだが白蘭がそれを許してくれないのだ。包帯が取れたら出かけても構わないと言ったくせに、包帯を取ること自体を許さないのだから、よほど骸を離したくないらしい。まあ、心配かけたことは自覚しているし、たまにはこんな風に白蘭とべったりするのも悪くないから別にいいのだけれど。

 ピピピピピ・・・ッ

 タイマーを止めて、カップの中の湯を捨てた。ポットの中をスプーンで一回転させてから、茶漉しを添えてカップに注ぐ。ふわりと漂う香りと鮮やかな色味に思わず頬が緩む。ゴールデンドロップ、最後の一滴まで注ぐと、カップとクッキーをトレイに載せた。よし、完璧。

「おまたせしましたー」

 トレイを片手に持って、部屋に戻ると相変わらずにこにこと笑う白蘭と呆然とした様子の正一に迎えられた。

「ん?どうかしましたか?」
「なんでもないよー。わぁおいしそー!」

 ぱちんと手を合わせて喜ぶ白蘭はまるで子どものようだ。白蘭と正一の前にそれぞれ紅茶を置くと、自分の分を持って白蘭の横に座る。

「んーおいしい。ほらっ正ちゃんも飲みなよ。骸くんの紅茶はおいしいんだよー」
「あ、はい・・・」

 白蘭の言葉に促されて、正一がおそるおそるカップに口を付けた。まったく失礼な。美味しいという言葉が信じられないのだろうか。

「・・・美味しい」
「ありがとうございます」

 こくりと一口飲んでそう呟いた正一に、にっこりと笑う。

「六道、骸。お前は・・・・・・」
「はい?」

 何故フルネームなのだろうと思いながら、コテンと首を傾げて返事をする。正一がそれを見て眉を寄せた。

「骸くーん、マシュマロはー?」

 何かを口にしようとした正一の言葉を白蘭が遮る。

「マシュマロ?白蘭、貴方ちょっと食べすぎですよ」

 そう言いつつも一応用意してあったマシュマロの袋を取り出す。それを白蘭に渡すと、彼は少し考え込んだ後、僕にそれを返してきた。

「白蘭?」

 要らないんですか?続けようとした言葉を遮って白蘭が口を開けた。

「あーんして?」

 大きく口を開けてねだる姿に思わず溜め息を吐く。そして袋からマシュマロを数個わしづかんで白蘭の口に押し込んだ。

「んぐっ!?」

 明らかに許容量を超えた量のマシュマロにあたふたする白蘭を笑うと、視線を感じた。正一だ。正一はやはり驚いた顔でぽかんと骸を見つめてくる。

「入江君も食べますか?」

 にっこり微笑んで尋ねると正一は怯えたようにブンブンと首を振った。失礼な。白蘭以外にこんなことはしないのに。




まっしろな貴方に
おかえり





novel



2008/8/9