「好きです」 その言葉を耳にした瞬間、俺の心臓は大きく跳ねた。 沢田綱吉、男、高校二年生。成績、運動神経共に下の下。そんなステータスを持つ俺だが、これでも彼女というものがいる。 可愛い彼女だ。 客観的に見てもまぁまぁ可愛い子だと思う。美女と言うわけではないし、アイドルよりも可愛いなんてことはないが、クラスで三番目くらいに可愛いと評判の子だ。高嶺の花と言うほど遠くもなく、親しみやすい雰囲気で笑う彼女を狙っている男子は多かった。 そんな彼女がどうして俺なんかを好きになったのか、数ヶ月付き合った今でもよく分からない。 告白は彼女のほうからだった。 好きな人いるの?から始まって、付き合ってくださいで締められた告白に、俺は数日の猶予の後に頷いた。戸惑う俺に考える時間をくれた彼女はやっぱり優しい子だと思う。 当時、俺に好きな人はいなかった。もちろん付き合っている人もいなかった。 ただ、彼女のことを好きなわけでもなかった。 「とりあえず付き合ってみたらいいじゃん。付き合ってから好きになるかもしんねーし」 悩む俺に向かって友人はそう言って、俺はそれに「確かにそうかもしれない」と頷いた。 そして告白から数日後、俺たちは彼氏彼女になった。 俺の彼女は可愛い子である。客観的だけでなく主観的に見ても可愛いと思う。「おはよう」と笑いかけてくる笑顔は花が咲いたようだし、たまに作ってくれるお弁当も一生懸命な彼女の性格がよく現れている。 彼女といると楽しいし、落ち着く。胸が温かくなる。 「好き」と言われるとほっとした。そして「俺も好きだよ」と笑う。 一緒に映画に行ったし、遊園地にも行った。俺の携帯にはそこでお揃いで買ったねずみのストラップが揺れている。 漫画やドラマの中のような情熱はないけれど、こんな形の恋もあるのだろう。そう俺は思っていた。 そう、思っていたのに。 人気の少ない校舎裏に呼び出された俺は放課後そこに向かった。 約束の時間の十分前にも関わらず、呼び出した主は既にそこで待っていた。俺を見つけると少し戸惑う様子を見せてから、それでもしっかりと向き直って口を開いた。 「えっと、はじめまして。六道骸と申します。突然呼び出してすいません」 そう自己紹介から始めたが、俺は彼を知っていた。 隣のクラスの六道骸。整った顔立ちの彼の話は俺のクラスにまで届いている。でもそうじゃなくても俺は彼を知っていた。 俺の中には一つのジンクスがあるのだ。それは六道骸を見かけると、その日一日いいことがあるというものだ。自分でも馬鹿みたいなジンクスだとは思うが、効果の程は馬鹿にもできない。事実、彼を見かけた日はいつだって幸せな気分で眠ることができたのだから。 「あの、こんなことを言って君を困らせるだけなのは分かっています。でも聞いて欲しくて……」 そっと目を伏せて六道骸は言い淀む。伏せられた睫毛は長い。こうやって近くで見ると本当に彼は美しかった。そこらの芸能人よりも綺麗な顔立ちを前にして、心拍数が上がる。心臓はどくどくと鼓動を刻むのが分かった。 そして。 「僕は君のことが好きです」 その言葉を耳にした瞬間、俺の心臓は大きく跳ねた。 只でさえ五月蝿かった心臓が、まるで祭り太鼓のように鳴ってその存在を主張する。血が沸騰するような気さえした。くらくらして、ぐるぐるする。全身が心臓になったかみたいだ。 「すいません、君に彼女がいるのは知ってるんです。でも諦められなった」 心臓が高鳴る。 胸がどきどきする。 こんな、こんな気持ちは初めてだった。 彼女を可愛いと思う気持ちに嘘はない。好きだという気持ちに嘘はないのだ。 それでも俺は彼女に執着することが出来ない自分に気づいていた。 以前、クラスメイトと彼女が噂になったことがある。実際はそれは誤解だったのだが、周りは浮気だの二股だの騒いでいた。そんな中、彼女を問い詰めようとしなかった俺に対して、友人は俺を寛大だなぁと評した。 彼女にデートに誘われたときも、友達との約束が先にあればそれを優先した。そんな俺を友人は友情に厚い男だなんて笑った。 しかしそんな風に褒められるほど、居心地が悪い俺が居た。俺は寛大だったんじゃない。ただ、どうでもよかったのだ。友情に厚いわけでもない。ただ、等価値だっただけだ。 彼女が好きだ。 彼女が困っていたら、出来る限りのことはしてあげたいと思う。でも彼女に他に好きな人が出来たとしても構わないのだ。 一緒に居て楽しい。落ち着く。胸が温かくなる。 でも一緒に居ても、ときめけない。 「好き」と言われてほっとした。安堵していた。だって「愛している」と言われたら、「俺も」と答えることが出来ない。 俺は彼女を好きだけど、俺は彼女を愛していない。 それでも、そういうものだと思っていた。 心臓が破れそうなほどの恋なんて、執着なんてフィクションの中だけのもので現実にはないのだと。こういう穏やかな感情を恋と呼んでもいいのだと、そう思っていた。 なのに。 いま、俺の心臓は壊れそうだ。 切なくて、苦しくて泣いてしまいそうだ。 「男にこんなことを言われて気持ち悪いと思うのなら、はっきり言ってください。もう二度と君の前には現れません」 ああ、なんでだろう。気持ち悪いなんて欠片も思えなかった。 そして俺はジンクスの正体に気づく。 彼を見かけるといいことがあるんじゃない。彼を見かけたこと自体が俺にとってのいいことだったのだ。原因と結果が逆だった。 「返事をもらえますか?」 くしゃりと泣きそうな顔で六道骸が微笑んだ。 可愛い可愛い俺の彼女。俺を好きだと笑ってくれた優しい彼女。 泣かせたくない。 幸せになってほしい。 ああ、どうすればなるべく傷つけずにお別れできるだろうか。 |